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記憶にはないが
0歳〜3歳までの溺愛されていたであろうわたし
(本当に人って嫌なことだけ残るよね)

なのに30になるまで、
わたしはなんだか
常に淋しさを抱えて生きていた。

【自分なんて価値があるのかな】
【みんな本当は私の事を
友達なんて思ってないんじゃないか】
【私なんてすぐ忘れられる存在だろう】

こんな風にふと
バッドモードに入る時が多々あった。


前回のつづきの話だが、
3歳のとき弟が産まれてからというもの
私は急にお姉ちゃんという
役職を与えられた。

ぬくぬく暮らしていた3歳児が
急にお姉ちゃんになったのだ!!

弟は死ぬほど可愛かったし、
(今でもやっぱり可愛い)
嬉しかったけれど
その日を栄に
私はしっかりする事を求められた。

【お姉ちゃんなんだから】
【お姉ちゃんでしょ】

今、37になった私が振り返ってみれば
なんて理不尽な!
好きで先に産まれたわけじゃなーい!
でもかーちゃんもワンオペ子育て
大変だったんだよね。

なんて思えるようになったけれど
当時のわたしは
母に怒られないように必死に
【しっかり者のお姉ちゃん】になっていた。


だから
◆わがままがいえない
(自分の意見を言う事と
わがままの境目がわからない)
◆甘えられない
◆泣けない

こんな子供に成長した。
わたしの中では窮屈でしかたないのだけれど
周りの大人からは

◆しっかりしてる
◆育てやすい子

そんな風に言われ続けて
いつしか周りの持つイメージに
合わせて生きなければいけないと
無意識にそう行動していた。


常に自分に自信がない。
自分の意見がいえない。


わたしね、実は幼稚園〜小学生の頃
歌手になりたかったんですよ。


でもきっとこの夢は誰も知らない。
歌手になりたいだなんて。

【お前なんかには無理だ。】
そう言われるのが怖かった。
お前が歌手?ってバカにされる気がしたから
誰にも言えなかった。


大人に「将来は何になりたいの?」
なんて聞かれる時は
私は決まって【ケーキ屋さん】
って答えていたの。
小さい子がさも言いそうで、
ケーキが好きだからなんて
理由もつけやすい。
そんな事考えて本音を隠していた
幼稚園児、まじで怖いよね。

子供はバカじゃない。
意外に色々考えてるんだよね。






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前回のブログで、両親の顔色を伺っていた
幼少期に軽く触れたのだけれど

当時26歳だった母にとって
私は初めて産んだ娘。
産まれた当初はそれはそれは
めちゃくちゃに可愛がってくれていたそうで、
『もうこの子1人さえいればいい』
そう思っていた程だったと
後に母から聞いたわたし。


わたしが猫可愛がりされてぬくぬくと
生活をしていた3年後に弟が産まれ、
そこからわたしの生き残りをかけた
サバイバル空気読み生活が始まるのだ。


私が記憶の中に残る
一番古い記憶は
母が出産後入院中の時に
今は亡き祖母宅に預けられていた事。


当時からわたしにとって祖母は
聖母のように優しく
大大大好きで
安心できる人だったわけだけれど、
当時3歳の私にはなぜ母がいないのか
いつ帰ってくるのか
ちっとも理解できてなかったかゆえ、
夕方になり日が沈みだすと
母のいない毎日に急激に淋しくなり、
胸が押しつぶされそうになっていた感覚を
今でも思い出せる。

祖母と毎日日課のお散歩で、
近所の川の鯉にお麩やらパン耳やらを
あげた帰り道の夕陽は、
今でも胸がキューっと切なくなる思い出として
記憶の片隅にある。

今思えば、
【なんだかいつも淋しい】という
わたし爆誕は
ここからが始まりで、
成仏させられないまま
大人になっていくのだった。












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2024年3月の現在、

私は横浜と湘南に2店舗出店する

エステサロンの社長として

日々奮闘をしているのだけれど、

社長になるまでの過程で幼少期の過ごし方は

とっても関係してくるので

さかのぼってみようと思う。

 

 

わたしは共働きの家庭に生まれ育ち

3歳下の弟がいる。

父は飲食業界の人間なので

クリスマス・年末年始・GWなど

世間のイベント時には忙しく、

母はほぼワンオペで

わたしたち姉弟を育ててくれていた。

 

 

私が幼稚園に通いだす4歳のころ、

弟はまだ1歳。

【お姉ちゃん】として扱われ

お姉ちゃんとして期待され、

いつしか甘え下手になっていった。

(これが後に恋愛にも大きな影響を及ぼす事を

4歳のわたしはまだ知らない)


 

 

【嫌われないようにいい子でいなきゃ。】

自分の思っていることが言えない。

自己主張ができない。

怖い。

 


当時母はイケイケで気の強い人だったので(笑)

私がかわいいリボンやレースの

女の子らしいお洋服や

フリルのついた靴下をねだろうもんなら

ことごとく却下!!!!


母好みのボーイッシュな服を与えられたりもした。

当時はすっごく嫌だったのを今でも覚えているし、

自分の好きなものを否定されるって

本当にきつかったなあ・・・

 

 


今思えば

わたしは、このころからすでに

自己肯定感を無くしていた。


 

私は間違っている。

親の意見が絶対!


 

そんな風にいつも親の気分を伺って

嫌われないように過ごしていた気がする。

 

 

 

 








 

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