9月に入って、あっという間にもう9日。

今日出かけた先で知ったのですが

9/9は菊の節句というのですね。

(栗の節句とも)


そんな節目の日。

先程、息子の同級生のお母さんが

突然亡くなったとの訃報を聞きまして

いろんな思いが交錯しています。


いつも元気で明るくて

好きなお母さんだったので

突然のことでとても悲しいです。


子供の将来を見届けられずに

亡くなってしまうなんて…

きっと心残りも沢山あるよね。


残された家族もとても辛いと思いますが

悲しみの先にあるそれぞれの幸せの形を見つけて欲しいなと思っています。


近い存在の方が亡くなると

考えさせられることが沢山あります。


今、片付けに取り組んでいるからか

片付けの初心が思い出されています。


私が片付けをしなくては!と思い立ったのは、

長男が生まれる前だったか後だったか…

ある日の通勤途中で

「もし急に死んだら、整理されてない私の荷物…あれどうなるんだろう?ヤバイぞ!」と思ったからでした。


それからというもの

「いつ死んでも迷惑かけないように」

を意識しながら生きること

かれこれ10年近く…

(死を意識していなかったら、多分私は今セラピーやっている事はないと思います)


断捨離などの片付けを

ちまちま時々ガッツリ取り組んで

やっとここまで来ましたが


「自分の荷物は整理されていて

いつ死んでも恥ずかしくないか」

と言えば、そこは未達です。

10年もやってるのにね 汗


今日のできごとで思い知らされたのは

「本気じゃなかったね」ということです。


死んだ時のことを意識してるのに

まだまだ先のこと、とどこかで思っていて

気持ちの余裕を勝手に持っていたのでしょうね。


ヒステリックになりながら片付けていた事もあるので、それに比べれば今の方が穏やかに取り組めていてずっと良いですが。苦笑


のんびり構えて

きちんと終わりにしていなかったからこそ

長々と「片付けられない私」に捕らわれていたのかもしれません。


ココは…もう卒業しますね!


私がセラピーを提供している理由の1つに

「縛られている思い込みから自由になって

みんなそれぞれ身軽な人生を生きて欲しい!」

「いつ死んでも後悔しない人生を送る」

というものがあります。


片付けしていて

やってもやっても手放すものがあり

オイオイ!どんだけ私身重だったんだよ!

と我ながらゲンナリし、

一体どの口が「みんなに身軽な人生を生きて欲しい!」なんて言ってんだ?!

と落ち込む反面、


まだまだ軽く、ラクになれるんだ♫

限界なんてないってこと?!という未来への期待も湧いたりもして…


なんだかんだ言って

私が伝えたいのは

「いつ死んでも後悔しない自分を生きようよ!」

って事です。


そのためにも取捨選択。

やらなくていいことはやめて、

やりたいことをやっていく。


違和感が出るたびに

やらなくてよくなったことをやめて

新たにやりたいことをやっていく。


その過程で起こる失敗は失敗じゃない

ぜーんぶ、自分の糧にしちゃえばいいだけ。

そうやって繰り返していくだけだものね。


今回、

のんびりやってる場合じゃないよ!

と教えてもらったような気がするので

いろんな事、諦めないでスピードを上げてやって行こうと思います。


そうだよ、私がやりたい事は

過去の精算ではなく、未来のクリエイト。

いつまでも過去見つめてる場合じゃないね。

〇〇ちゃん…気づかせてくれてありがとう!



〇〇ちゃんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。



いつもながら長くなりましたが、最後まで読んでくださってありがとうございます。