全てが変わった一週間。
唯一変わらないのは 「 諦めない事 」 そして 「 生きてる 」 という事。
失ったものと背負うものが一気に大きくなった一週間。
得たものはたった一つ。 「 すべてに感謝する事 」
実家は借家の大家をして、母とあたしと弟はその借家に住んでいました。
地震で、じいちゃんは弟を保育園から実家に連れて帰り、母は仕事から実家に帰ってきました。
大津波警報と高台への避難の放送。
アタシの車には、
弟と犬、少しのお菓子と飲み物、弟の着替え、寒くないように掛けてあげた毛布、
東京に行くつもりで揃えてたアタシのキャリーケース。
母に、着替えを取りに行こうといわれ車を離れ家に行きました。
玄関をあけ、振り向き道路に目をやると
ハザードをつけ、バックで流れてくる車。
間もなく玄関や全ての窓から鉄砲水が流れ込み、ガラスは割れ、天井に頭が着きました。
息が出来る少しの間玄関を塞ぐ下駄箱を足でよけ、潜って外へ出て母を引っ張り出し、
電柱を伝い屋根に逃げました。
そして「助けて下さい!」と流れてきた60歳前後の女性を引っ張り上げました。
女性はどこからか出血していました。
濡れた体に、わざとのように吹きつける雪と風。
女性に上着を掛けてあげたあたしは、水を吸ったジャージ(下)とトレーナーとシャツのみ。
あたしと母は女性を挟むように体を暖めあうも
身体は震えが止まらず、眠いと言い出す女性。
水はだいたい地上から4メートルのとこでとどまっていました。
ガスのにおいと、何処からか聞こえてくる「助けて下さい」の声、暗くなる空。
空はとても澄んでいて、見たこともないような星が沢山で、今まで一番綺麗な空で一生忘れられないでしょう。
沢山掛けた声もむなしく、女性はうなり出し、やがていびきをかくようになりました。
遠くで炎上し海へ堕ちたヘリ。反対では煙が立ちあがっていました。
意識を保つために、極寒の中、母と「しりとり」を始めました。
母は徐々に声のトーンが落ち始め、訳のわからない事を言うので
何度も名前を呼んで、気を持たせて。してるうちにアタシも意識飛ぶようになって…。
でもせっかく助かったのにココで死にたくねー。ってもう根性でなんとか頑張って朝を迎えました。
明るくなって女性をみると大量の血が出てて、息も途切れ途切れで、徐々に息もとまってしまい。
暖めてた身体も冷たくなりました。
朝には水もひざ丈になったので近所の老人ホームへいきました。
屋根の上で下は瓦礫。移動する事が出来ず、困っていた時、
通り過ぎて行った男性が笑顔で手を貸してくれました。
男性が「助かってよかったなー!さっき家帰ったら、女房死んでたー。」
辛いはずなのに彼は笑っていました。
老人ホームには二日お世話になって、三日目実家に行きました。
実家にはじいちゃんしかいませんでした。
ひいばあちゃんはじいちゃんの腕の中で目を落としたそうです。
四日目、 実家の一階は瓦礫だらけでそのなか、残った家族三人で弟たちを出してあげました。
弟の冷たくなった小さい手を握った時に 地獄ってこの事だと思いました。
弟の手の先にはばあちゃんの手がつないでありました。
もう、これ程辛いことはないでしょう。
綺麗な顔でお人形みたいでした。
誰も悪くないのに、 「あん時こうしてあげてたら…」って被災者みんな自分を責めています。
朝起きて、外を見て現実にもどる。
ほんとしんどかったです。
電気、ガス、水道も使えない。風呂も入れない。食料もない。
でも生きてる。
生きてれいば、お風呂入れるし
生きていれば、おしゃれできるし
生きていれば、お化粧できる。
生きてればたくさんの事が出来るから、
その時の為に 今は少し無理をしてみんな頑張ってます。
少しでも前に進まないと
これからだった、4年で止まってしまった弟に怒られちゃうから。
この世に生を受け、今日まで生きて居れる事 また明日も生きれるという事に感謝してます。
諦めずに頑張ります。
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これを読んで、涙が止まりませんでした。
どんなに辛さを替わってあげたくとも、、、
どんなに判ってあげたくとも、、、
100%の理解にはなれないということ。
とても悲しいです。
そんな悲しい思いをしてきても、被災地の方々が頑張ってると思うと
私たちは、少々のことで音をあげては駄目ですね。
私たちは、頑張らないと。
負けちゃいられないよね。





