願望実現についてネットを見ていたとき、

 

「見えている現象は、

自分の複数の願望(認識)が

合体したものなのでは?」

という考察を見つけた。

 

つまり、現状を見て、

「実現していない」ように見えるのは、

実現させたいものと同時に

実現させたくないものまで実現しているから、というもの。

(実現させたくないもの=無理、できない、まだない、など)

 

だとしたら、

実現させたくないものを実現させなければ、

(それを除去すれば)

結果、実現させたいものだけが現れて(残って?)

「実現した」と認識できるのではないか?と。

 

 

 

願望って、願望だから

(パラドクス)

想っているうちに、あっという間に

思考というゴミがつきやすく(湧いてきやすく)

純粋な願望そのものを感じる、

ということがなかなか難しい。

 

「いいな!好きだな!」って思っても、

次の瞬間、

「でもどうせ無理、できない、あり得ない」

という思考(ゴミ)がくっついて、

 

「好きだけど辛い、苦しい」

「好きだから辛い、苦しい」

 

気づくと「大嫌い」になっていたりする。

 

(本当は大好きなのに、

 大嫌いになっていることはよくある。

 それとは逆に、

 たいして好きでもないものを

 好きだと思い込んでいたり、、)

 

 

例えば、ポップスの曲も

 

「大好き」ってストレートな曲よりは、

「好きだけど辛い」

「好きだから辛い」

(好きって切ない)

っていう複雑な曲の方が多い気がする。

(純粋な「好き」に思考はくっつきやすい)

 

 

私が無意識に、

 

「好き」=切ないもの、苦しいもの

 

と、どこかで思い込んでいたこの認識を

そのまま願望実現に持ち込むのは違っていたんだ…

 

願望実現においては、

「好き」と思考(ゴミ)は

きっちりと切り離すことこそが大事だったんだ〜

と思いました。

 

(ポップスの曲は大好きです。「好きすぎて滅!」も〜)

 

 

だから、願望実現においては、

 

「好き」と「だけど辛い」は別。

「好き」と「だから辛い」は別。

 

「だけど辛い」「だから辛い」は思考。ゴミ。切り離す。

 ↑この現象化はいらない

 これを純粋な「好き」とは混ぜない。

 

で、「好き」という純粋な願望だけを感じてみる。

 

 

 

思考は切り離して、

 

「私はただ○○が好きなんだ…」

「だからずっと〇〇を好きでいよう、

 好きでいてよかったんだ〜」と

 

純粋な「好き」って気持ちだけに

浸って感じてみたとき、

 

「好き」という気持ちは

それだけで

こんなに気持ちのいいものなんだ、

と気づいて驚きました。

(渇望も消えてて驚いた)