私にはある時期、1ヶ月間くらい、
アファメーションに凝ってた時期が
ありました。
(短い...)
自画自賛する文章を日々作成しては、
それを自分で朗読、録音し、
時間がある時は、そればかり聞いてました。
(私は、アファメーションについては、
元祖1式がいいと思ってます。
思考を止めるためにするアファです。)
アファメーションって、
なんか大変そう、、と思い、
無意識に避けていたのですが、
だんだんそうも言ってられなくなり、
行き詰まりを感じたある日、
「ここまで来たら、
アファでもなんでもやってやる」
とやり出したら、
面白い発見があったので、
今日はちょっとそのことについて
書いてみたいと思います
(アファで何か願望が叶ったという話ではないです!汗)
(本当は、そうゆう話を書いてみたいのですが、、)
「私は幸せなお金持ちである!」
「完璧なことばかり起こる!」
「万事良好の流れ!」
「私は最高!」…などなど、
私には叶えたい様々な種類の願望があって、
その表現も工夫すればするほど
たくさん出てきて...
それらを眺めているうちに、
「究極、これさえ言っておけばいいのでは?」
と思ったのが、
「私はモテる!」でした。
(え、ちょっと恥ずかしいな、とは思いました。)
でもそれは、「モテる=持てる」なのでは?
と思いついたからです。
(すみません!語源とかは調べてないので、
あくまでも私の個人的感覚です)
実際に、「モテる」と言い続けてると、
「たしかにこれは変な下心とか、
浮ついたものではなく、もっと崇高な
人としての根源的な願いなのでは?」
と思い始めました。
そして、最終的には、
「ちっとも恥ずかしいことじゃない
これは堂々と言ったほうがいい
(思ってたほうがいいことだ)」
と思ったのです。
(素敵な出会い、素晴らしい人間関係、楽しい時間、
いいもの、お金...etc を「私は持てる!」ってすっごくいいじゃない...!!と、普通に思ったのです)
これは、私が当時、セドナメソッドを
やってたこととも関係してます。
「できる/できない」って、実は
私たちの感覚(感じ方)なんですよね
私たちが問題を体験する時は、たいてい
物事と自分の感情を混同してしまってます
ある対象を前にして、
「できないことがある」と私たちは
思い込むのですが、実際には、
「できない」と私がただ「感じた」だけ。
これが正確な認識です。
「できないこと」が存在しているわけではないのですね
だから、
モテる
=持てる
=持つことができる(可能)
という感覚(感じ方)
ならば、
「モテる人」「モテない人」が
存在しているわけではなく、
例えば、好きな人を前にして、
この人と素敵な関係(関係性)が
「モテる(持てる)」(はずだ)と「感じた」私、
「モテない(持てない)」(はずだ)と「感じた」私、
がいるだけ。
ただそれだけなのではないか?
と思いました。
そう考えると、
「モテる」私になるハードル(?)が
ぐっと下がりました
「なんだ、「モテる(持てる)」って
ただ感じてればよかったのか...」と。
「いやいやいやそんな簡単に思えるわけ
ないじゃない」と思ったそこのあなた!
では、「モテる」という自信、確信は、
どこからやってくると思いますか?
それは…
「私だから!」
やっぱりこの理由に尽きると思うのです
自分の中から湧き出してくるもの
つまり、根拠のない自信ですね
(私は赤ちゃんが持ってるあの感じのイメージです)
108さんのyoutubeチャンネルで「自信」
についての動画があると思います。
その中で、「自信は、(勝手に)
持っちゃえばいいんですよ。」
と言っていましたね。
でも、どうしても自信が持てない
という場合は、自信がある、と思い込むより、
「断定する」のがいいそうです。
「私は素晴らしい」と断定してしまう
(「私はモテる」もいいと思います!)
思い込むためには、根拠が必要になりますが、
断定には、根拠が不要ですから!
そして断定したら、その後「なんで?」とかは
考えずに、ただその都度、断定あるのみです!
すると、後から
「ああ、やっぱり私は素晴らしいんだ」と、
それを裏付ける証拠が、現れてくるそうですよ〜
そのループに入っていけると、自信はついてきますね!
だから、根拠のない自信があると...
(私には魅力がある、モテると感じてると)
「私は魅力的〜」
→だから「私が与えるのは喜びしかない」し、
→だから「私は愛される」し、
→だから「愛されてる私の元にやってくる人やものも当然、愛だと信頼できる」し、
→だから「私は(それらを)持てる=モテる」という確信が持ちやすい。
イージーモードになりやすいです
(いわゆる「おめでたいやつ」という感じかもですね!笑 でも、けっこう大事です)
そして、自信が持てないと...
(私には魅力がない、モテないと感じてると)
「私は魅力的...ではないおそれがある」
(おそれ=不安、心配)
→だから「私が与えるのは喜びではないおそれがある」し、
→だから「私は愛されないおそれがある」し、
→だから「愛されてないおそれのある私の元にやってくる人やものも当然、愛ではないおそれがあるから、信頼できない」し、
→だから「私は(それらを)持てる=モテる」という確信がいまいち持てない。
ハードモードになりやすいかも、、ですね
(かつての私は、超スーパーハードモードでしたよ〜)
あと、根拠のない自信は、
自分から無限に湧いてきますが、
根拠のある自信は、
外に求めることになるので、
(何かを利用して(依存して)得ようとするため)
(競争することになるので)
有限で、大変です...
(本当に大変でした...)
だから、私は、勝手に
「私はモテる!」と感じてることが、
自分を幸せにするし、人も幸せにできるし、
けっこう合理的な在り方だったんだ...と
アファメーションを通して気づいたのです
(ただ、アファメーションの実際の効果は...感じられてないんですが!笑)
でもでも!
アファメーションの言葉は全部
(たとえ目に見える効果がなくとも)
自分の真実ですからね
モテモテ(断定)でいきましょう
(そしたら目に見える現実でもモテるはず!!!)
よしほ