昨日は自分の思うところを書いた後、色々な方の日記を拝読して歩きましたが、やはり皆さん様々な想いがあるんですね。
思うところの内容について是非を問おうとは思いませんが、これからも皆がどんどん「自分はそれについて何故そう思うのか」を何かの形で表明する事は大切だと感じました。
そうしないと、またナアナアのマアマアで同じ轍を踏むことになりかねません。


故市川房江議員が「反対の声を上げなかった私達全員、あの戦争に対する責任がある」とおっしゃっていたのを思い出します。




とまあ、しんみりした話はこのへんで。

今日は戦後のどさくさ話でも一席。


主役は超生物の生みの親、今は亡き筆者のばあちゃん。
自作農でそこそこの田畑を持ってはおりましたが、じいちゃんが放t(略)だった為生活は苦しかったようです。

このばあちゃん、戦後のとある時期に、生活の為自主流通野菜の販売にいそしんでおりました。
ええ、いわゆるひとつの「ヤ◎屋」という奴です。
自分達の食事は「かぼちゃの茎&葉っぱの間に米粒があるもの(by 超生物@小学生)」で、実の方を出荷していたとのこと。
たとえ食料を持っている農家であっても、それをしないと糊口をしのぐ事すらできなかった時代だった訳です。

リヤカーに野菜を載せ、中身が絶対見えないよう完全武装。日が昇る前の暗い道を星空そろそろと出かけてゆきます。
ばあちゃんの出荷ルート上には、ある難所がありました。それは

進駐軍駐屯地の門前

しかも、門番は日本人。

ちょっとでもキョドったら、一発で「ヤ◎屋」だと見抜かれてしまいます。

こ…これは危険が危ない!!

そんな事言っても、今日一日の家族の命には替えられません。ばあちゃんは毎朝、小さいがやや毛深い心臓をばくばくドキドキさせながら、進駐軍の門前を横切っておりました。

ある朝のこと。
いつものように門前を通り過ぎ、しばらく行ったところでやれ今日も助かったと一休み、ほっと息をつきながら何気なく振り返ると…

何とッ!!!
さっきの門番が走ってくるではありませんか!!!!!


やばい、見つかったあああああっ!!!!!!(>_<;)
こうなったらもう必死です、やおらリヤカーを引っ張ると、ばあちゃん全速力ターボ全開で走り出しました。
日頃から農作業で鍛えてますから足だって…


そんな訳は無く。

しょせんは野菜満載リヤカー牽引の中年女性と、せいぜいが銃一丁携えただけの壮年男性。あっという間に追いつかれてしまいました。

ああああ、もう駄目だぁ…見つかったぁぁぁぁぁぁ_| ̄|○

頭の中を色んな事がぐるぐる回りながら覚悟を決めたその時、追いかけてきた進駐軍の門番が口を開きました。




「……ぉばちゃ……野菜わげでけろ」
(訳:おばちゃん、野菜売ってくれ)




実はこの門番、毎朝ばあちゃんが通るのを見て、野菜が買いたくて仕方なかったんだそうで。
以来、ちょくちょくお買い上げ頂くお客様になったとかならなかったとか。



ちゃんちゃんにひひ




今でこそ笑い話になりますが、当時は皆その日の食事をするのにも、文字通り必死だったという事です。
こんな時代が、二度と来ないようにしないとね。