先日初めてのマレー語/インドネシア語ミーティングを行いましたニコニコお初のメンバーだったので、まずは顔合わせの会に。

最近の勉強の進捗やマレーシアでの生活など、いろいろ話しました!では先に参加メンバーの感想からどうぞ〜ウインク


ペナンのリアルな生活を垣間見させてもらい、ちょっとワクワクしました。街中の表記がマレー語・中国語・英語らしいので、ちょっと羨ましく思いました。

マレー語とインドネシア語についても話が及びました。


次回は、マレー語の単語だけでも挟みながら話が出来たらと思っています。


今回のミーティングではインドネシア語とマレー語の違いと歴史背景についての話に至りました。


周りのローカルの人にマレー語のためにインドネシア語を習ってる事を言うと、「ほぼ同じだから大丈夫」と言われるのを良いことに、何も深く考えていなかったので、とても興味深い視点でした。


ちなみに現地ではマレー語はバハサと呼ばれ、子どものインターナショナルスクールでも教科名はバハサです。


バハサ⇦⇨英語の辞書を買えば役立つのではというごもっともな案をいただき、目から鱗🤣インターネット上の辞書とはやはりちょっと違いますよね。印をつけて蓄積できる感じが。早速今日本屋さんへ行ってみます!


現地の人が「マレー語とインドネシア語はほぼ同じ」と言うなら間違いないですね!安心して?インドネシア語→マレー語の流れで勉強していきましょうウインク
そういえば!と思い出し、探してみたらやはりインドネシア語/英語の辞書を持ってました↓


これ!もらいものなんですが…いつもらったのか、すっかり忘れてましたガーンもったいない!でも思い出して良かった!


ところで、この前NHKの『映像の世紀 バタフライエフェクト』で、戦時中に日本でマレー語のブームがあったというアーカイブ映像を見たのでその話をしたら、参加メンバーさんも観てた!

「大東亜共栄圏の3年8ヶ月」の回で、当時の日本には「南方特別留学生」が来ていて、広島に一番多く留学していたそうびっくりそして、被爆した人もいたと…まだまだ知らないことばかりです。

満州での「五族共和」や東南アジアでの「大東亜共栄圏」といった当時の日本のプロパガンダは、それが「侵略」でなく本当の意味での共和共栄であったなら…とつくづく残念な気持ちになります。日本が当時敷いた「皇民化政策」ではなく、今のマレーシアのような多民族国家を目指せたならとショボーン


それはそうと、今回マレー語メンバーがみんな「映像の世紀」ファンだということが知れたので、この話もできる!と嬉しくなりました〜ラブ