今宵は満月。月がいよいよ澄んで、趣深い。


「もののあはれ」を感じずにはいられない。


情趣 悲哀 哀愁 同情 憐憫 愛情 慕情 賛嘆


心の中に様々な思いが駆け巡る。


月は限りなく幽玄である。


そのため、和歌には数多く月が出てくる。



月見れば ちぢに物こそ かなしけれ 

わが身ひとつの 秋にはあらねど

(月を見ると様々に物悲しい気持ちに誘われる。

 私ひとりだけのために訪れた秋ではないのだけれど。)


〈大江千里〉



心にも あれでうき世に ながらへば

恋しかるべき 夜半の月かな

(心ならずもこのつらい世に生きながらえたなら、

 きっと恋しく思うにちがいない今宵の月である。)


〈三条院〉



なげげとて 月やは物を 思はする

かこち顔なる わが涙かな

(思い嘆けといって月は私にそう思わせるのか。

 そうではないのに、月のせいでもあるかのように流れ出る恋の涙である。)



月は人の心の奥へと入り込み、余情を残していくのかも知れない。


かぐや姫ではないけれども、月を見ると何故か物悲しい気持ちになる。


その昔、「月」は「憑き」だと理解されていた。


月の光が人の魂を異界に連れ去るものだと思われていたからだ。


私も月の魅力に憑りつかれているのであろう。


今、この目に映る今宵の満月は昔と何一つ変わっていない。


月を見ていると時空さえもおぼつかなくなる。


自分がいつの時代のどこの国の何者なのか。


この世は夢幻なのか、現実なのか。


月の前では、この世のしがらみが無になる。


そしてただ、言葉にならない心だけが月の光に照らされる。







夜空を眺めてみたら、月が非常に明るく輝いていた。

月齢によると、明日17日が満月。

そんな満月に、お酒を一杯片手に聞きたい曲がある。

王力宏(ワンリーホン)の花田錯(Hua Tian Cuo)。

ポップな曲も多く、ラップも歌いこなす中国のトップシンガー、王力宏。

彼は二胡(中国伝統の弓奏弦楽器)がとてもうまい。

また、歌詞も古来の詩のような表現が多く、古風なセンスを持っている若者だ。

その中でも「花田錯(Hua Tian Cuo)」は詩がとても美しい。

二胡の音色が美しい詩と重なり、満月とよく合う。

詩の中にも月が何度か出てくる。

胡蝶の杯を手に握り、琥珀色の月を眺めたくなる曲だ。







花田錯  王力宏


夜好深了 
(深まる夜)
紙窗裏怎麼亮著 
(何故障子から明かりがもれているのか)
那不是 徹夜等候 
(夜通しあなたは起きて)
你為我點的燭火 
(私のためにろうそくを灯しているのか)
不過是 一次邂逅 
(一度だけの偶然の出会い)
紅樓那一場夢 
(紅楼での夢)
我的山水全部褪色 
(思い出の景色は全て色褪せてしまった)
像被大雨洗過 
(大雨で洗い流されてしまったかのように)
杯中景色鬼魅 
(杯の中の陰影のゆらめき)
我忘了我是誰 
(自分が誰なのか忘れてしまった)
心情就像夜涼如水 
(心は夜の水のように冷たい)
手裏握著蝴蝶杯 單飛 
(胡蝶の杯を手に握り)
不醉不歸 
(酔わずには帰れない)


花田裏犯了錯 
(花畑での過ち)
説好 破曉前忘掉 
(暁前のことは全て忘れると約束する)
花田裏犯了錯 
(花畑での過ち)
擁抱 變成了煎熬 
(抱擁は苦しみに変わってしまった)
花田裏犯了錯 
(花畑での過ち)
犯錯像迷戀鏡花水月的無聊
(鏡の中の花、川の中の月みたいな幻に魅了されている)
花田裏犯了錯 
(花畑での過ち)
請 原諒我多情的打擾 
(どうか恋焦がれる気持を悪く思わないでほしい)


醉 怎麼會喝醉 
(何故酔うことができるのか)
美 因為你的美 
(あなたが美しいからだ)
愛匆匆一瞥不過點綴 
(偽りの瞬間が愛しい)
飛 看大雪紛飛 
(粉雪が舞う)
卻 再也找不回 
(もう戻ることが出来ない)
被白雪覆蓋那些青翠 
(白雪が幻の上にさえ積もってしまったから)
當時空成為擁有你 唯一條件 
(あなたとまた会うことを心待ちにして)
我又醉 
(私はまた酔う)
琥珀色的月 
(琥珀色の月)
結了霜的涙
(凍りついた涙が流れた)
我會記得這段歳月
(私はこの歳月を決して忘れない)


花田裏犯了錯 
(花畑での過ち)
説好 破曉前忘掉 
(暁前のことは全て忘れると約束する)
花田裏犯了錯 
(花畑での過ち)
擁抱 變成了煎熬 
(抱擁は苦しみに変わってしまった)
花田裏犯了錯 
(花畑での過ち)
犯錯像迷戀鏡花水月的無聊
(鏡の中の花、川の中の月みたいな幻に魅了されている)
花田裏犯了錯 
(花畑での過ち)
請 原諒我多情的打擾 
(どうか恋焦がれる気持を悪く思わないでほしい)


我的山水全部褪了色
(思い出の景色は全て色褪せてしまった)
多情的打擾請原諒我
(恋焦がれる気持を許してほしい)
不是徹夜為我點的火
(あのろうそくは夜通し私を待つ灯火ではない)
在那花田裡我犯了錯
(あの花畑での過ち)


※中国サイトの英訳とYahooの翻訳を使ったため、訳の中には意訳があります。
 ご了承下さい。

宇宙を考えると妙な気持ちになる。


自分は日本に住んでいる

日本は地球の一部

地球は太陽系の一部

太陽系は天の川銀河の一部

天の川銀河は銀河団の一部

銀河団は宇宙の一部


こうやって自分の宇宙での位置を縮小していく。


すると、頭の中はパニックだ。


あまりにもスケールが大きすぎるからだ。


宇宙の大きさを把握したい。


でも、とてもじゃないけど把握できない。


自分の目に見えない空間を想像するのは容易ではないようだ。


そもそも何故、宇宙を把握したいのか。


それは、日常生活を送っていると目の前しか見えなくかるからだ。


受験の時には受験しか見えなかった。


就活の時には就活しか見えなかった。


目の前に問題が起これば、それしか見えなくなっていた。


自分の身に起こることに必死になっていると、視野がぐんと狭くなる。


それはそれで勿論いい。


目の前の物事に必死に取り組むのは良いことだから。


ただ、ちょっと宇宙の中の自分を感じ取れれば、視野が広がる。


「私なんて、どうせ宇宙から見ればちっぽけな存在。」


そうは思わない。むしろ、


「こんな広い宇宙の中で、偶然にも生物として生まれた私はすごい。」


と思う。


たまたま地球という惑星に生物として生まれたのは奇跡としか言いようがない。


そう思うと、地球人であることに誇りと喜びが生まれる。


目の前のことで頭がいっぱいになってしまったら、よく空を眺めて見る。


すると、だんだん気持ちがすっきりする。


宇宙は把握できないけれど、宇宙を考えることで自分を把握できるからだ。


「地球人の自分よ、頑張りたまえ。」


こんな言葉を自分にかける余裕が出てくる。


宇宙ぐらい広い懐を持ちたいものだ。


そうすれば、何事にたいしてもど~んと構えることができるだろうから。