内宮参拝ツアーは14時からの予定でしたが、あまりの暑さに「涼しいうちに」という事で14時開始を早めてもらい12時にして頂きました![]()
A1の駐車場に🚗を停めて
創建: 垂仁天皇26年 西暦 BC29年 古墳時代
迦具夜比売命(かぐやひめのみこと)もこの時代
主祭神 天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)(天照大御神)
高天原を統べる主宰神で、皇祖神とされる。
太陽神の性格と巫女の性格を併せ持つ存在。神武天皇は来孫。
イザナキは死者の国である黄泉(よみ)の国に妻を追っていき、そこで汚(けが)れを受けてしまいました。黄泉の国から帰ってきたイザナキは体を洗い清めようと「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」で禊をします。
左目を洗ったときに生まれたのが天照大神様
です。
皇女倭比賣命(やまとひめのみこと)さまは、伊勢の神宮に、皇祖神の天照大御神さまをお祀りされた斎王とされています。
日本武尊の叔母にあたり、日本武尊の東国平定の際に三種の神器の一つ「草薙の劔」を与えられました。
もともとは天皇の住まいである宮中に、オオモノヌシノミコトとともに祀られていた天照大御神(あまてらすおおみかみ)。10代目の崇神(すじん)天皇の時代、国中に疫病が蔓延し人口が半分になるほどでした![]()
悩んだ天皇がその原因を神にたずねたところ、オオモノヌシノミコトが「私をオオタネヒコノミコトに祀らせるように」とお告げをします。
このオオタネヒコノミコトはオオモノヌシノミコトの子孫にあたる人物とされており、崇神天皇は早速オオタネヒコノミコトを探し出して、オオモノヌシノミコトを宮中から三輪山へ移して祀りました。
すると疫病はたちまち治まり、国には平和が戻る。疫病はオオモノヌシノミコトの祟りでした。
このような神のたたりは、政権交代などでおろそかにされていた祭祀の再開を神が求めるものとされています。
これと同時に天照大御の引っ越しも行われる。崇神天皇は皇女の豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)に命じ、天照大御神を大和の笠縫邑(かさぬいむら)へ。
崇神天皇の跡を継いだ垂仁天皇に、「天照大御神さまを祀るに最適な場所を探すように」と命じられた倭姫命(やまとひめのみこと)は、笠縫邑を出て、大和の国を出た倭姫命は、各地を巡り歩きます。そして伊賀や近江、美濃などを経て、伊勢・五十鈴川の畔へ辿り着きました。伊勢の地は風光明媚で、海の幸にも恵まれた場所です。大変気に入った、天照大御神自身が倭姫命にお告げをしたとされています。
これが伊勢神宮のはじまりと伝えられています。
倭姫命は、巡行の時に天照大神の御神体である八咫鏡(やたのかがみ)を持っていますが、伊勢の地に定まる前に各地で一時的に鏡を祀っていました。


