今日は市内に用事があり、そのついでに
九条河原へ行ってきました。


6月の新選組の勉強会で
禁門の変のお話を聞いたんですが
そういえば、九条河原はまだ行ってないなぁ~と
思ってはいたんですが
いつもスルーしてました汗


九条河原、は禁門の変のとき
新選組が会津藩と陣を張った場所です。

ちょうど、勧進橋(当時は銭取橋とも言われていた)のあたり。







前にその勉強会の内容をちょっと
ブログでも書いたんですが
(その時のブログはこちら。

その時にいただいた資料を見ると
新選組は、私が写真を撮った位置ではなく
ちょうど、竹田街道(橋の上の道路の名前)を挟んだ
この橋の向かい側に待機していたようです。

ちょっと、思い付きでここに来たので
あんまり下調べせずに来たせいで
帰ってからの確認になってしまいました(ノ_・。)



新選組は、この時に野営をしているイメージがあるんですが
『浪士文久報国記事』の中でも

新選組不取敢九条邸江出張致ス

とあります。

この辺りは、東九条村と言われていたそうで
その中に長谷川邸という庄屋or関白九条邸があり
そこでお世話になっていた、もしくは分宿していたのでは?と。
(このへんは色々な史料があるそうです)

なので、もしかしたら、交代で
屋敷と陣を張る形をとってたのではないか、と仰っていました。

これは、『浪士文久報国記事』だけでなく
近藤さんに会うために、京に入っていた
近藤さんの兄・宮川惣兵衛の書簡にも

東九条村出陣致居候間門前江夜二入而着致候・・・・

とあり、『門前』と書かれていることから
この時、新選組が九条邸にいた(建物の中にいた)ということが
裏付けられるんだそう。
(近藤さんに会いに壬生にいったけど
そこでは会えず、東九条村に行った・・・って感じの
内容だったような(・Θ・;))



その東九条村が
いただいたレジュメを見ると




ちょうどこの先になるのかなぁ・・・。
ちなみに御所もこの方向です。



この辺りを、見渡して

そっかぁ・・・この辺か~~・・・・・・照

と思いながら、元来た道を戻った


・・・・・いや、正確には戻っていたつもりだった・・・泣2



ふと、気が付くと




・・・・あれ?ここどこ??
どこ歩いてんの???



となってしまい、ガチで迷子になった・・・ちーん


地下鉄十条駅から、勧進橋まで徒歩たったの5分です。

行きは、すんなり行けたので
そのまんま、来た道を戻れば済む話なのですが
ぶちゃけ、適当に「たぶんこっち」と思い
歩いて行ったら、運よく勧進橋に来れたので
道をしっかり覚えておらず・・・。


しかもこの辺を歩いたのは初めて・・・。


基本的に方向音痴の私は
全く違う方向に歩いてしまい
しばらく十条あたりを彷徨ってしまいました。


なので、道行く人に

「すみませ~~ん・・・・地下鉄十条駅に行きたいんですけど・・・」

と聞く羽目に・・・aya


皆さん、丁寧に教えてくださいました泣き


おかげで無事に京都まで行き
本来の目的を果たすことができましたNO



にしても、迷子って恥ずかしすぎる・・・・ちーん