おはようございます♪
今日も暑い・・・晴れ


先週に届いたこちらの本。


沖田総司 - 新選組孤高の剣士 (中公文庫)/中央公論新社

¥799
Amazon.co.jp


読み終わりましたー。


でも、9割は知ってることばかりやったNO

菊地明さんの『沖田総司の生涯』を読んだことある人は
内容がちょっと被る部分があるかと汗


大和屋の焼き討ち事件や
光縁寺にある『沖田氏縁者』についても
めちゃ被ってるちーん

両方とも、特に確定できる史料があるわけでもないのに・・・・1


あと、禁門の変では新選組は手柄を挙げれなかったとか

池田屋事件の部分も、町田先生の研究では
俊太郎さまが捕縛される前に、池田屋で密会があったのに
ここでは、「夜に池田屋に集合」って書かれてるあたり
他の研究者のことは無視??って印象も。


史料の記載もされていて
ちゃんと総司さん像に迫ってはいるんですが。
(史料も、現代語訳で書かれていて
わかりやすかった。)


たぶん、総司さんは史料が少ないから
この辺が限界なんだろうな・・・って感じもします。

総司さんの佩刀に関しても、一般的に言われてるのが
加州清光や大和守安定だけど
それを裏付ける史料も存在してないみたいだし・・・ちーん



あと、気になったのは総司さんの女性関係というか(笑)

総司さんに告白したんだけどフラれちゃって
そのショックから、自害しようとした方がいらっしゃるんですが

私、これは江戸にいる頃の話だと思ってたんですが
ここでは京に来てからの話になってる・・・無

私の記憶違いかなうっ。


浅野薫とか、酒井兵庫を斬った話も
出処は西村兼文の『新撰組始末記』にしか
書かれていないみたいだし・・・。

※西村兼文の『新撰組始末記』は、すでに宮地正人さんが
『歴史のなかの新選組』で批判されてることで有名。
西村兼文は西本願寺の寺侍で、ご本人が直接見聞された部分は
信憑性が高いんですが、それ以外の部分は
近藤さんや、新選組を賊軍として非難攻撃する部分が
露骨に出ているそうで
この本を扱う場合、各種史料から裏付けを見つける必要があるとされています。



なので、総司さんに関しては
今現在、出回ってる通説は、どれくらい本当なのか?
って思う部分もあるなぁ・・・。




でも、この本の中で私が初めて見たのが
総司さんの最期の言葉。


『両雄逸事』の中にある


「我幸いにして(病は)癒ゆ。慮輩を斬るにありては、万て狩るのみ。
歿するに臨み、この罵りを絶えず口にす」



が、総司さんの臨終の言葉とされているそう。


「私の病気は癒えた。近藤勇先生を襲った者すべて狩って
虜(生け捕り)にして斬る」



という意味だそうで、近藤さんが御陵衛士の残党に
銃撃される事件で右肩を負傷し
憤怒のあまり発した仇討、マンハント宣言である、と。


黒猫を斬ろうとして・・・っていうエピソードが
有名なんですが
ここでは、そうではなくて


近藤さんを襲われて、その恨みを晴らすまでは
死ぬに死ねないと。

その仇討の気力だけが、彼の命の火に灯し続けたのだと思う、と。


なんていうか・・・。

総司さんって、「幕府のため」というよりは
「新選組」や「近藤さん」のために
剣をふるっていたって感じが大きいですし
そのためなら、命を捨てても惜しくない、っていう
部分はあったと思います。

なので、相川さんの推論も、完全否定はできない。


無念だったと思います。

病気になって、戦に出ることもできなくなったわけだし。


でも、最期は穏やかな気持ちでいてほしいなぁ・・・
っていう願いもあったりするグスンっ





さぁ、『燃えよ剣』に戻ります逃げる