本日、7月8日は新暦で池田屋事件が起きた日。


今日の京都新聞で、中村先生が
池田屋事件のことについてお話されてる記事が
掲載されていました。





先月の新選組講座のときに
京都新聞の取材を受けた(ん?受けるだったかな?)
と仰っていたので

あ、チェックしとかなきゃー

と思ってたんですが(笑)


なんか、こういうことしてると
中村先生のマニアみたい(爆)

でもー、こうして新選組について
教えていただけるのは
とても幸運なことだと思うので
これからも、バンバン参加させていただきます♪


書かれてる内容は

俊太郎さまがどんな人物だったか?

池田屋内での戦闘の内容は?

とか、そんな感じ。


池田屋を突き止める経緯で


・山崎烝の諜報で突き止めた話はフィクションであること。

・池田屋襲撃前から、新選組は20ヶ所ほど浪士の潜伏先を把握していた。


ということを語られています。


あとは、総司さんの喀血にも触れられていて

喀血が通説となってるけど
永倉さんは病が出て戦線離脱したとしていて
血を吐いたとは書いてない


と。


これに関しては、「暑さによるもの」だったり
この辺は繰り返しになるけど
ハッキリした史料はないしね。

でも、総司さんって上洛する前の年に
麻疹にかかってはるので
これが、労咳を患った遠因では?
とも言われています汗


印象的だったのは、最後の

「池田屋事件の歴史的な意義は?」

の質問に対し


当夜、会津は桑名藩は大砲を使い、長州と合戦するつもりでした。
でも、京都留守居役・乃美織江が挑発に応じなかったため
開戦は避けられた。

池田屋事件は単に新選組を有名にした事件ではなく
その上部組織の京都守護職・会津松平家が
禁門の変や長州戦争を経て
戊辰の会津戦争に至る長州毛利家との
全面戦争を決意した事件と位置づけられます。



と、答えれています。


池田屋事件と聞くと真っ先に

「新選組」が有名になった事件

って思っちゃうんだけど
こういう話を聞くと、幕末の歴史としても
本当に大きなものだったんだぁーと
しみじみ思います。



今日は池田屋事件の日かー。

私はいつも、歴史的な出来事は
旧暦で覚えることが多いため
新暦では、あまりピンと来なかったりするんですが汗


こういう記事を見ると
今日は時間を気にしてしまうじゃないかー!!!(笑)



短い記事だけど
京都新聞がゲットできる方は、目を通してみてください♪