こんにちはー♪
今日は
晴れ
洗濯も捗ります。
いよいよ、来週に控えた新選組検定。
今年は公式テキストが出たので
申し込みとほぼ同時に購入。
新選組検定公式ガイドブック/世界文化社

¥1,620
Amazon.co.jp
でも、これを読むのは検定の前、と思っていて
今、これを読んでるわけなんですが・・・
正直なところ、「え?
」と感じる部分が
多々ありまして。
生意気なのは百も承知。
まだ、途中までしか読めてないけど、私なりの
「これは鵜呑みにしていいのかな」
って感じる部分ちょっと書いてみます。
まずは、P.29の池田屋事件の記述。
これは地理的なものなんだけど。

近藤隊が河原町通りに出たのは
午後十時過ぎと思われる。
・・・・ん??
「河原町通り」????
これは、三条通りでは?
池田屋事件当日、近藤隊は高瀬川に沿った木屋町通りを北上し
付近の旅籠や茶屋の捜索にあたっています。
木屋町通りから三条通りに出ると
その西側に三条小橋があり
それを、また少し西に行くと池田屋があるんです。
もし、木屋町通りから河原町通りに出たとすれば
どこかの通りを曲がらないと河原町通りに出ません。
(錦小路通り・蛸薬師通り・六角通りになるんかな?)
どこの通りを曲がったの?
土方隊は、さらに井上隊の二つに分けられたそうですが
近藤隊を二手に分けた話は
今まで聞いたことないですし
そんなことしたら、池田屋に着いたとき
さらに人手が無くなっちゃう。
今なら、携帯があるのですぐに合流できるだろうけど。
あと、池田屋への集合時間。
私は以前、町田先生が解説してくださったのが
現時点での長州側の動きだと思ってるんですが
(といっても、稔麿さん側だけど)
ここでは、集合時間が「夜」になっていました。
このテキストでは、桂小五郎側からの記述っぽいので
元々、池田屋で密談があったんだろうけど
俊太郎さまが捕縛されて
その話し合いに、桂さんが藩邸外に潜んでる
浪士を夜に集合させたってことか?

これだと、桂さんが新選組が突入したときは
池田屋にいた、ってことになるんだろうけど。
河原町通りといい、集合時間といい
ちょっと、混乱
そして、二つ目。
P.35の伊東さんが加入したときの部分。

後日、近藤と対面した伊東は、新選組が尊王攘夷の集団であることを
確認して加入に応じ…
と、あります。
確かに新選組は、尊王攘夷の志を持った思想集団です。
浪士組の本来の上洛の目的は
将軍家茂が上洛する際の護衛と大阪湾での攘夷実行
にあったことは以前もブログで書いたと思います。
ですが、池田屋事件以降
新選組は攘夷にこだわらなくなり
思想集団として、維持することを断念しているはず。
(そのかわりというか
幕府と共に、長州征伐を念頭におくようになった)
なので、伊東さんが加入したときは
新選組は、「尊王攘夷」という思想集団では
なかったことになるんです。
近藤さんと伊東さんは「攘夷」っていう部分で
一致したのではなくて、ただ単に
近藤さんは、優秀な人材が欲しかった
伊東さんは、京に進出するきっかけが欲しかった
と、いうことだと思ってるんですが・・・。
この部分は
新選組 (岩波新書)/岩波書店

¥886
Amazon.co.jp
松浦玲さんの『新選組』を参照に♪
こういう風に書かれちゃうと
また、ややこしくなる
あと、ここでは何度か書いてる、大和屋の焼き討ち事件とか。
ほとんどの研究者さんたちは
「これは芹沢さんがやったのではない」
と仰ってる中、菊地明さんだけが反論されている印象を受けます。
このテキストでも、史料を提示されて
書かれていますが、私は今ひとつ信用できない
芹沢さんは水戸の出身です。
水戸って言えば、バリバリの尊王攘夷。
で、この大和屋があったとされる場所が
京都御所の門のひとつ、中立売御門の近くなんです。
(そこには、当時を偲ばせるものは
何もないんですが・・・)
尊王攘夷の思想を持った方が
こんな場所で火を放つかなぁ?って。
・・・って、これは私の勝手な解釈だから
聞き流してください
菊地明さんは今回の検定で監修をされてる方。
でも、確実な史料がないのに
憶測で書かれたりすることでも言われています。
文章は、とてもわかりやすくて
読みやすいものではあるんですが・・・。
それ、何の史料から?みたいな。
なんだろうな。
この本を読めば、検定は大丈夫!
って感じ?
それじゃあ、困る。
新選組検定が色々言われているのは
そういう部分もある。
もちろん、わかってて受けるんだけど
ここに来て、自分の中で
この検定を受けることに若干の違和感というか
ズレを感じてきてます。
あと、合格者特典で『薄桜鬼』があるのも
ちょっと納得いかない。

関係ないやん。
若い子の受験者を増やすためなんだろうけど
こういうことするから
「薄桜鬼のゲームやったから受かる」
なんて言ってる
史実と二次元を区別できない人が出てくるのでは?
あと、もう言っちゃうけど
壬生寺にかかってる絵馬に
『薄桜鬼』とか『風光る』のイラストが
描いてあったら、正直イラッときます。
あと、去年は土方さんのお墓に
マヨネーズが供えられていたとか。
たぶん、銀魂っていうアニメに関係してるんだと思いますが
もう、マジでやめてね、そんなこと。
今は、新選組のお祭りとかになると、薄桜鬼のパネルとか
どーーん!っていうのがあるみたいだけど
薄桜鬼とかの、二次元がきっかけで
新選組に興味を持つのは
とてもいいことだと思います。
視野が増えるきっかけになるんだし。
でも、史実と創作の区別はちゃんとすべき。
それが私の、歴史に対する持論。
なんか、めちゃ長くなったけど
書いてるうちに
今までの不満が一気に噴き出てしまいました
でも、検定はちゃんと受けます
お金払っちゃったし、キャンセルできないし。
が。
もうちょっと考えてからにすればよかった
・・・・・・


最後に。
池田屋のときの、土方隊の捜索メンバー。

一瞬
伊庭八郎
に見えて、ビビった
今日は


洗濯も捗ります。
いよいよ、来週に控えた新選組検定。
今年は公式テキストが出たので
申し込みとほぼ同時に購入。
新選組検定公式ガイドブック/世界文化社

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でも、これを読むのは検定の前、と思っていて
今、これを読んでるわけなんですが・・・
正直なところ、「え?

多々ありまして。
生意気なのは百も承知。
まだ、途中までしか読めてないけど、私なりの
「これは鵜呑みにしていいのかな」
って感じる部分ちょっと書いてみます。
まずは、P.29の池田屋事件の記述。
これは地理的なものなんだけど。

近藤隊が河原町通りに出たのは
午後十時過ぎと思われる。
・・・・ん??
「河原町通り」????
これは、三条通りでは?
池田屋事件当日、近藤隊は高瀬川に沿った木屋町通りを北上し
付近の旅籠や茶屋の捜索にあたっています。
木屋町通りから三条通りに出ると
その西側に三条小橋があり
それを、また少し西に行くと池田屋があるんです。
もし、木屋町通りから河原町通りに出たとすれば
どこかの通りを曲がらないと河原町通りに出ません。
(錦小路通り・蛸薬師通り・六角通りになるんかな?)
どこの通りを曲がったの?

土方隊は、さらに井上隊の二つに分けられたそうですが
近藤隊を二手に分けた話は
今まで聞いたことないですし
そんなことしたら、池田屋に着いたとき
さらに人手が無くなっちゃう。
今なら、携帯があるのですぐに合流できるだろうけど。
あと、池田屋への集合時間。
私は以前、町田先生が解説してくださったのが
現時点での長州側の動きだと思ってるんですが
(といっても、稔麿さん側だけど)
ここでは、集合時間が「夜」になっていました。
このテキストでは、桂小五郎側からの記述っぽいので
元々、池田屋で密談があったんだろうけど
俊太郎さまが捕縛されて
その話し合いに、桂さんが藩邸外に潜んでる
浪士を夜に集合させたってことか?


これだと、桂さんが新選組が突入したときは
池田屋にいた、ってことになるんだろうけど。
河原町通りといい、集合時間といい
ちょっと、混乱

そして、二つ目。
P.35の伊東さんが加入したときの部分。

後日、近藤と対面した伊東は、新選組が尊王攘夷の集団であることを
確認して加入に応じ…
と、あります。
確かに新選組は、尊王攘夷の志を持った思想集団です。
浪士組の本来の上洛の目的は
将軍家茂が上洛する際の護衛と大阪湾での攘夷実行
にあったことは以前もブログで書いたと思います。
ですが、池田屋事件以降
新選組は攘夷にこだわらなくなり
思想集団として、維持することを断念しているはず。
(そのかわりというか
幕府と共に、長州征伐を念頭におくようになった)
なので、伊東さんが加入したときは
新選組は、「尊王攘夷」という思想集団では
なかったことになるんです。
近藤さんと伊東さんは「攘夷」っていう部分で
一致したのではなくて、ただ単に
近藤さんは、優秀な人材が欲しかった
伊東さんは、京に進出するきっかけが欲しかった
と、いうことだと思ってるんですが・・・。
この部分は
新選組 (岩波新書)/岩波書店

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こういう風に書かれちゃうと
また、ややこしくなる

あと、ここでは何度か書いてる、大和屋の焼き討ち事件とか。
ほとんどの研究者さんたちは
「これは芹沢さんがやったのではない」
と仰ってる中、菊地明さんだけが反論されている印象を受けます。
このテキストでも、史料を提示されて
書かれていますが、私は今ひとつ信用できない

芹沢さんは水戸の出身です。
水戸って言えば、バリバリの尊王攘夷。
で、この大和屋があったとされる場所が
京都御所の門のひとつ、中立売御門の近くなんです。
(そこには、当時を偲ばせるものは
何もないんですが・・・)
尊王攘夷の思想を持った方が
こんな場所で火を放つかなぁ?って。
・・・って、これは私の勝手な解釈だから
聞き流してください

菊地明さんは今回の検定で監修をされてる方。
でも、確実な史料がないのに
憶測で書かれたりすることでも言われています。
文章は、とてもわかりやすくて
読みやすいものではあるんですが・・・。
それ、何の史料から?みたいな。
なんだろうな。
この本を読めば、検定は大丈夫!
って感じ?
それじゃあ、困る。
新選組検定が色々言われているのは
そういう部分もある。
もちろん、わかってて受けるんだけど
ここに来て、自分の中で
この検定を受けることに若干の違和感というか
ズレを感じてきてます。
あと、合格者特典で『薄桜鬼』があるのも
ちょっと納得いかない。

関係ないやん。
若い子の受験者を増やすためなんだろうけど
こういうことするから
「薄桜鬼のゲームやったから受かる」
なんて言ってる
史実と二次元を区別できない人が出てくるのでは?
あと、もう言っちゃうけど
壬生寺にかかってる絵馬に
『薄桜鬼』とか『風光る』のイラストが
描いてあったら、正直イラッときます。
あと、去年は土方さんのお墓に
マヨネーズが供えられていたとか。
たぶん、銀魂っていうアニメに関係してるんだと思いますが
もう、マジでやめてね、そんなこと。
今は、新選組のお祭りとかになると、薄桜鬼のパネルとか
どーーん!っていうのがあるみたいだけど
薄桜鬼とかの、二次元がきっかけで
新選組に興味を持つのは
とてもいいことだと思います。
視野が増えるきっかけになるんだし。
でも、史実と創作の区別はちゃんとすべき。
それが私の、歴史に対する持論。
なんか、めちゃ長くなったけど
書いてるうちに
今までの不満が一気に噴き出てしまいました

でも、検定はちゃんと受けます

お金払っちゃったし、キャンセルできないし。
が。
もうちょっと考えてからにすればよかった

・・・・・・



最後に。
池田屋のときの、土方隊の捜索メンバー。

一瞬
伊庭八郎
に見えて、ビビった
