今日は中村先生の月一回の新選組講座でした。


午前中は免許の更新、午後は新選組と
ちょっとバタバタでしたが
この講座は私の毎月の楽しみニコ


そして、今日はいつもの講座の他に
『花燃ゆ』に合わせて
付録的な感じで「新選組と甲子戦争(禁門の変)」
お話してくださいましたaya

今日と来週と、ちょうど『花燃ゆ』で
禁門の変があります。

今日も新選組は出てこないけど
新選組もめちゃ関わった出来事なので
リアルで視聴したけど

・・・あの石清水での軍議の際に
真木和泉がいないのが、めちゃ気になった汗


なんでいないの?(笑)

久坂・真木・来島、この3者の軍議は
ちゃんとあった方がいいような汗




で、今日のレジュメ。





京都御所の見取り図(笑)

大河では長州側からの禁門の変でしたが
今日の講義は「新選組側」。

今日もまた、色々知ることができて
めちゃ面白かったし、夢中でメモをとりました。


まず、「禁門の変」(蛤御門の変とも言われていますが)について。


別の言い方で「(元治)甲子戦争」とも言われているんですが
(禁門の変が起きた元治元年の干支が
「甲子」だったことから、そう言われてる)


そもそも、この戦は、京だけでなく
その後、大阪と広範囲に広がった戦争なので
「禁門の変」っていうのはおかしいのでは?

と仰っていました。



あと、この禁門の変の新選組は

一応、九条河原に布陣したものの
御所で戦が起きた際に出遅れてしまって
大した成果をあげることができなかった

と、書かれることが多いんですが

そうではなくて池田屋事件同様に
新選組には外せない戦争だということです。


このとき、新選組は伏見の九条河原(銭取橋)を
会津藩と共に布陣しています。

長州本体は、この伏見から京に入るため
ここに布陣するというのは
とても大事な任務だった、ということ。

その際、新選組は、幕臣である大垣藩とともに
家老・福原越後の兵を追いうちにして京への進軍を
防ぐことに成功するんですが

翌明け方に、御所の方から火の手があがっているのが見え
急いで御所へ。
(これは「浪士文久報国記事」にも書かれています)


その時には、戦も終わりかけていました。

ですが、そのとき、新選組は
蛤御門の北側にある、日野・烏丸屋敷にいた
長州の兵、5、6人を打ち取っています。



ちょうど、鷹司邸に火をつけた頃に
新選組が到着したので
あまり活躍していないように思われがちなんですが
決してそうではないということで汗


やっぱり、こういう講座の魅力は
信用できる史料を使って説明してくださることでしょうか。

文字だけだと忘れてしまうこともあったり
理解できない部分があったりするんで
こういうのは、本当にありがたいです。


本を読んではいるけど、私もまだまだ。

それを実感する時間でもありますが
本当に楽しいです。


免許の更新の講習は眠くて仕方なかったけど
新選組の講座は、時間があっという間に過ぎますきらきら!!



そして、案の定、講座が始まる前に
先週の『花燃ゆ』の池田屋事件のことに
触れられましたが

「もうクズみたいな池田屋でした」

って、的確なツッコミに笑ってしまいました(爆)



来月は、参加がちょっと微妙なんですが汗


でも、今日の甲子戦争の話は
本当に面白かったーーニコ



そして、今日も町田先生が
長州側の甲子戦争についてTwitterで
解説してくださいました。

ちょっと、ブログを更新しながらだったので
まだちゃんと読めてませんが汗





では~はーいラブラブピンク