先日の大河『花燃ゆ』で
池田屋事件が放送された際
中村先生と町田先生がTwitterを
通して解説してくださった部分を
記録しておきたいので
とてつもなく長いです。

ご興味&お時間があれば、読んでみてください。



まずは、池田屋事件を研究されている
中村先生から。

実は、6月5日がちょうど旧暦でいう
池田屋事件があった日だったんですが
その日に、中村先生が池田屋事件について
解説してくださっていました汗

私、これ見逃しててまして・・・(;^_^A


この日の分と、大河放送日の分と
ちょっと一緒にまとめておきます。





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本日(6/5)は池田屋事件開始の日(旧暦)。

前年よりの京都放火や長州への天皇動座という噂を信じた近藤勇以下新選組
「御所向放火」(「中川宮砲発」)を供述した古高俊太郎をそのメンバーと確信
関係者の動きを制するため一会桑に出兵を求め承諾を得
先行して潜伏地20余か所を探索する過程で
まず池田屋で10余名の浪士と出会う。


これは古高奪還のため新選組屋敷襲撃を話し合うメンバーであった。
室内でおそらく5名が斬殺され、数名が逮捕された。


長州と手を結ぶ危険のあった一橋家の出兵を抑えた会津・桑名は
当夜河原町長州屋敷と交戦する覚悟であったため、同屋敷を包囲した。


長州京都留守居役・乃美織江(のみ おりえ)
屋敷を枕に戦死する覚悟を決めたが
在邸者(正規の毛利家臣、浪士ら100名ていどか)に対して
当方からの出兵を厳しく制した。


※乃美織江は、池田屋事件のとき
長州藩邸の門を閉ざした責任者だそうです。


会津・桑名を主力とする兵力(ほかに一橋若干、彦根井伊家なども参加)は
強引に河原町長州屋敷を襲撃しなかったため、当夜の開戦は避けられた。



それは結果の話で、六月五日夜は、いつ開戦するか定かでないなか
会桑主力の浪士追捕勢力は、池田屋とは別に
洛中洛外の20余ヶ所の親長州浪士の潜伏地の襲撃を継続させた。

事実上、市街地は戒厳状態となり
その過程で無関係の者も含めて路上や茶屋の多くの人数が逮捕・殺害されることになった。

宮川町の近江屋で殺された吉岡庄祐や
縄手通の魚品で捕えられた木村甚五郎などは
正規の長州屋敷職員で、確実に無関係。
近江屋の女将も同様(吉岡とともに)殺害された。



一般に知られる池田屋事件の戦死者・逮捕者はこれらを総まとめにしたもので
すべてが池田屋にいたものではないし、古高奪還計画や中川宮砲発関係者でもない。

しかしだからといって池田屋に誰がいたのかを論じるのも枝葉の話で
さほど重要なことではない。



なお新選組も約二時間で池田屋内部の戦闘を終えたのち
さらに夜を徹してさらなる親長州浪士を求めて茶屋などの改めを継続した。
これが一旦停止するのは翌日の昼頃。

洛東大仏境内南門前の瓦師五郎兵衛方(北添佶摩や坂本龍馬)寓居襲撃は
この間の六月六日早朝。


たまたま浪士は不在で
留守番だった楢崎将作後室の貞(楢崎龍の母)が捕えられる(のち釈放)(大仏騒動)。

新選組にこだわるなら、そのあと一旦仮眠を取り
また改めて浪士追捕に参加する。
六月五日の夜、桑名は大砲を千本屋敷からおそらく二条城北の役宅に移動させていた。



これに応じ会津も夜が明けたなら大砲を始めとする火器の使用も可能としていたが
六月六日になっても長州留守居役・乃美織江は出兵を許可しなかったため
使用されることはなかった。
乃美は前夜事件に対する公家や諸大名家からの見舞いに対応しつつ
各所から届けられる犠牲者に関する連絡に意を配った。



乃美は京都守衛総督である慶喜に対して正義の浪士への暴力
とりわけ正規の長州屋敷職員など無関係者を殺害・逮捕したことに強く抗議した。
殺害された者はともかく、軟禁中の木村甚五郎に関しては
即時釈放を要求した(翌日釈放に成功)。
あわせて山口へ事件を報ずるため、まず大楽源太郎(だいらく げんたろう)を送った。

つづけて熊野清右衛門・有吉熊次郎を送る。
これらの情報が、6月13日付の浦靱負日記に書きとどめられる。


七日以後も浪士追捕は継続されている。
それがどの程度の規模なのかは定かではないが
10日に清水坂の曙(明保野)亭で土佐山内家臣・麻田時太郎襲撃事件が
起きていることは注意すべきである。


曙(明保野)亭は、最も長州毛利家が使用したことが確実な茶屋の一つである。
その襲撃が10日まで遅れるはずがない。
早ければ5日夜にも改められているはず。
それが10日に事件が起きるのであるから、同じ茶屋を何度も改めていたと推定される。
それほどこの時期の浪士追捕は徹底したものといえる。







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・・・と、ここまでが6/5にツィートされた分です。

漢字だらけちーん(笑)


よく池田屋にいた浪士は30人とか
言われていますが、そうではないようで・・・。

あと、俊太郎さまが旧前川邸の蔵で
拷問を受けたことは確実だけど
その執行者や具体的方法などは全く不明、だそうで

土方さんが立ち合ったっていうのも
逆さ吊りも、五寸釘もフィクションだそう(笑)


これは私もどこかで読んだ気がします。


この拷問の内容は、よく本とかにも
出てくるのは出てくるんですが
それを裏付けできる、確実な史料が
ないということなんだと思うんですが・・・。


中村先生は、良質な史料が3つ発見されないと
確定には至らない、と
よく仰っているので、それもあるのかな。

でも、新選組って、そういうのが
すごく多い気がします(笑)


なのでー、『新選組!』のこのシーンも





フィクションってわけねちーん
ドラマとかじゃ定番だけどさべー


でも、ちょっと安心したかも(笑)



池田屋事件は、新選組側の部分しか
知らないことも多いので
こういうツィートは、すごく勉強になります。



次は、町田先生ですが
吉田稔麿メインに解説してくださいました。

こちらもかなり興味深いものだったので
次に書き留めておきます。



では~はーい