ちょっと2日早いけど。

毎回やってるお香焚き。
今回は近藤さんです。

本当は25日が命日なんですが(旧暦)
明日は午前中に出かけるのと
家庭訪問が始まるため
短縮授業になります。
その上、命日当日は
家族で出かける用事があるので
今日しかないなぁ・・・と(笑)
昨年の藤堂さんの命日に
藤堂さんを偲ぶ気持ちで
壬生寺で買ったお香を焚いたのが
最初だったんだけど
1回やったら、全員やらないと
気が済まなくなってしまいました

かといって、新選組隊士全員の命日を
覚えてるわけではないんだけど

そして、この時期になると
それぞれの命日に合わせて
慰霊祭が行われます。
近藤さんはもう終わっちゃったけど
来月には土方さん
6月には総司さんの慰霊祭が。
あと、土方さんの命日に合わせて
ひの新選組祭りもー(´∀`)
それと同時に私の中に
行きたい・・・
でも、現実的にちょっと無理。
っていう感情が沸々(笑)
「幕末」っていう大きな括りだと
中心地は京都なんだけど
「新選組」ってなると
やっぱり日野だぁーってしみじみ思う
特に総司さんのお墓は
一般公開されておらず
今年は6/21(日)の10時~12時という
たった2時間しか
墓前に手を合わせることができません。
行きたいと願いつつも
やっぱり日程や交通費・・・
色々考えると断念せざるを得ない
韓流ファンをやってた頃から
「身の丈に合った応援の仕方」
をいつも頭に置いていて
自分のペースでやってきたし
それは今でも変わってないのだけど
好きな人に会いたい気持ちは
ジャンルが変わっても同じ(笑)
それがもう亡くなられて
墓前に手を合わせる形でも・・・。
総司さんに限らず
近藤さんや土方さんの墓前にも
手を合わせたい!!!
(もっというと
飯盛山にある白虎隊のお墓にも)
そんな気持ちになると読み返すのが
森満喜子さんの
『沖田総司おもかげ抄』にある
こんな文章です。
「たとえお墓参りできなくても
霊魂となった沖田総司は千人の人が
千ヶ所で同時に思っても常にその人の
傍にいてくれると思います。
御命日の日はお墓参りをしたつもりで
ご自分の家の仏壇にお花を上げて祈ったら」
と返事を書く。
たとえ直接にお墓参りはできなくても
ともかく百年昔のお墓があり
沖田総司はそこで永遠の眠りに就いているのだ。
それを思うと昭和23年以前の私のように
お墓があるのかないのか分からぬ
漠然とした頼りなさに比べれば
どれぼど、心強く嬉しいことか分からない。
お墓がある。
それだけでいいのではないだろうか。
この文を読むと、すっと気持ちが
軽くなります。
総司さんの本に書かれてた文章だけど
近藤さんや土方さんにも
当てはまる気がして・・・。
お墓がある。
それだけでいいのではないだろうか。
・・・・・


藤堂さんと山南さんは
京都にお墓があるので
直接、墓前に手を合わせることが
できますが
近藤さんや土方さん、総司さんは
気軽に行ける距離ではないので
こうして、行けないなりの
偲び方が私には重要になってくるのだよ
そして、近藤さんの最期は斬首・・・。
切腹も許されず、その最期は
まさに罪人扱いでした。
でも、新選組や近藤さんを憎んでいたのは
薩長土の武士たちだけであり
一般の市民からは
誠一筋のその生き様に
賞賛の声があがったそうです。
今まで読んだ本の中に
そう書かれていたものがありました。
今は、こうして本を読む事でしか
新選組の歴史を知ることはできませんが
当時、みんなが持っていた「志」とかって
こんな文章なんかで
簡単に表せるものではないんでしょう。
でも、こうして学び
私なりに伝えていくことで
弔いになればいいなぁ。
読んでくれてありがとう

毎回やってるお香焚き。
今回は近藤さんです。

本当は25日が命日なんですが(旧暦)
明日は午前中に出かけるのと
家庭訪問が始まるため
短縮授業になります。
その上、命日当日は
家族で出かける用事があるので
今日しかないなぁ・・・と(笑)
昨年の藤堂さんの命日に
藤堂さんを偲ぶ気持ちで
壬生寺で買ったお香を焚いたのが
最初だったんだけど
1回やったら、全員やらないと
気が済まなくなってしまいました


かといって、新選組隊士全員の命日を
覚えてるわけではないんだけど


そして、この時期になると
それぞれの命日に合わせて
慰霊祭が行われます。
近藤さんはもう終わっちゃったけど
来月には土方さん
6月には総司さんの慰霊祭が。
あと、土方さんの命日に合わせて
ひの新選組祭りもー(´∀`)
それと同時に私の中に
行きたい・・・
でも、現実的にちょっと無理。
っていう感情が沸々(笑)
「幕末」っていう大きな括りだと
中心地は京都なんだけど
「新選組」ってなると
やっぱり日野だぁーってしみじみ思う

特に総司さんのお墓は
一般公開されておらず
今年は6/21(日)の10時~12時という
たった2時間しか
墓前に手を合わせることができません。
行きたいと願いつつも
やっぱり日程や交通費・・・
色々考えると断念せざるを得ない

韓流ファンをやってた頃から
「身の丈に合った応援の仕方」
をいつも頭に置いていて
自分のペースでやってきたし
それは今でも変わってないのだけど
好きな人に会いたい気持ちは
ジャンルが変わっても同じ(笑)
それがもう亡くなられて
墓前に手を合わせる形でも・・・。
総司さんに限らず
近藤さんや土方さんの墓前にも
手を合わせたい!!!
(もっというと
飯盛山にある白虎隊のお墓にも)
そんな気持ちになると読み返すのが
森満喜子さんの
『沖田総司おもかげ抄』にある
こんな文章です。
「たとえお墓参りできなくても
霊魂となった沖田総司は千人の人が
千ヶ所で同時に思っても常にその人の
傍にいてくれると思います。
御命日の日はお墓参りをしたつもりで
ご自分の家の仏壇にお花を上げて祈ったら」
と返事を書く。
たとえ直接にお墓参りはできなくても
ともかく百年昔のお墓があり
沖田総司はそこで永遠の眠りに就いているのだ。
それを思うと昭和23年以前の私のように
お墓があるのかないのか分からぬ
漠然とした頼りなさに比べれば
どれぼど、心強く嬉しいことか分からない。
お墓がある。
それだけでいいのではないだろうか。
この文を読むと、すっと気持ちが
軽くなります。
総司さんの本に書かれてた文章だけど
近藤さんや土方さんにも
当てはまる気がして・・・。
お墓がある。
それだけでいいのではないだろうか。
・・・・・



藤堂さんと山南さんは
京都にお墓があるので
直接、墓前に手を合わせることが
できますが
近藤さんや土方さん、総司さんは
気軽に行ける距離ではないので
こうして、行けないなりの
偲び方が私には重要になってくるのだよ

そして、近藤さんの最期は斬首・・・。
切腹も許されず、その最期は
まさに罪人扱いでした。
でも、新選組や近藤さんを憎んでいたのは
薩長土の武士たちだけであり
一般の市民からは
誠一筋のその生き様に
賞賛の声があがったそうです。
今まで読んだ本の中に
そう書かれていたものがありました。
今は、こうして本を読む事でしか
新選組の歴史を知ることはできませんが
当時、みんなが持っていた「志」とかって
こんな文章なんかで
簡単に表せるものではないんでしょう。
でも、こうして学び
私なりに伝えていくことで
弔いになればいいなぁ。
読んでくれてありがとう
