昨日、ブログを更新したあとに届いた
『歴史街道』のバックナンバー。





半分が新選組の池田屋事件の特集でしたきらきら!!


新選組に詳しくない頃でも
私の中で新選組といえば

「池田屋事件」

って思い浮かんだくらい
新選組の歴史の中で一番大きな事件です。


なので
「池田屋事件」って聞くと
ちょっと飛びついてしまう(笑)
まぁ・・・新選組関連は大概
何でも飛びつきますが(‐ω‐;)



雑誌だったので、今読んでる本を
ちょっと中断して
昨日はこちらを読みふけってました。


私が一番読みたかった
中村先生が書かれた記事。





古高俊太郎が捕縛された日
旧前川邸の蔵で受けた拷問の末に
自白した内容が
私が一番、気になってる部分です。


よく言われてるのが

風の強い日に御所に火を放ち
その混乱に乗じて
松平容保らを暗殺し
天皇を長州へ連れ去る

・・・っていうやつ(笑)


この自白はなかったとも
新選組が手柄欲しさに勝手にやったとも
言われてるし
ちゃんと、その辺の部分を知りたいと
ずっと思ってるんだけど・・・。


最近、読んだ本には

古高俊太郎が捕縛される前に
長州側の浪士(2人組?)が
新選組に捕縛されていて
その2人が放火の企てを自白。

そして、古高俊太郎が捕縛されて
それの裏付けが取れた

って感じのことが書かれていました。



この雑誌で
中村先生の書かれた記事によると


元治元年6月5日の早朝に
桝谷で捕縛があって、古高俊太郎が

「中川宮(尹宮)朝彦邸放火の計画」

を自供したと。

でも、これは
池田屋事件を正当化するために
一会桑勢力が
「御所向(御所辺)放火」計画
を創作したものであり
実は具体的な計画はなかった

と、されてきたんだけど

(中川宮邸は御所の南西にある
下立売御門の近くにあるので
ここに火を放つということは
御所への放火と同じ意味になる)



その後、見解を改めなければならない
史料が見つかり
このことは創作ではなく
古高俊太郎が6月5日の早い段階で
中川宮邸への放火を供述していた
可能性が出てきたそうです。


だた、長州側が一番秘密に
しておきたかったのは
この放火のことじゃなくて
古高俊太郎を通して
長州の人間を京に潜伏させていた
って部分だったらしい・・・(;^_^A

これは俊太郎さまも
口を割らなかったそうな。


でも、それは池田屋事件の残党狩りで
あっさりと新選組に捕縛されてしまい
完全に失敗に終わってしまいますがちーん


と、中村先生は書かれていました。


でも、同じ雑誌内でも
書いてる人が違うと
全然違うことを書いている人もいるしがーん!



一体どれが本当なんだか・・・
って思うんだけど
私は中村先生が言われてる方を
信じたいなぁ、って。

別に好きだから、正当化したい
ってわけじゃなくて
今まで色んな本を読んできて
私の中でも「新選組」が
どんどん変わってきてるんです。

なので、手柄が欲しいだけで
こんなことするかなー・・・って
思いもあるんですよね・・・。




あと、ここでは総司さんが倒れた理由が

「暑さによるもの」

とされていました(笑)


喀血してないのは確かだけど
今はこういう解釈がされてるんですねー汗


でも、そうよね。

池田屋事件が起きたのは
祇園祭の宵々山。

あの、くっそ暑いときに
防具つけて3時間も捜索にあったんだもん。

そりゃ、バテるよねちーんちーん


血の匂いもすごかっただろうし。


でも、それじゃあ
総司さんが貧弱もんみたいがーん!(爆)



あ、長くなってしまいました。
新選組のこととなると
いつものことなんだけど。



最後に、この雑誌にあったイラストを。





すっごいキレイに描かれてて感動Queenlyハート





向かって左から

総司さん・近藤さん・藤堂さん・永倉さん

かな??







総司さぁぁぁんQueenlyラブラブピンクラブラブピンクラブラブピンク





読んでくれて
ありがとうございましたーaya