・・・・もうかなり今さらな話
たぶん、7月のまだまだ暑い日に
約1年ぶりに島原へ行ってきました。
去年の記事はコチラ♪
今回の目的はこれ。

10年ぶりに輪違屋さんが公開になるってことで行ってきました。
久しぶりの島原の大門。

新選組隊士が何度も通った大門
そう考えただけでも興奮しちゃいます
そして輪違屋さん。

日本で唯一の置屋。
ここは普段、非公開なので去年は建物だけ見て帰ったんです
ちなみにこの輪違屋さんは今でも太夫がいて営業されています。
芹沢さんの暗殺の日、平間さんと一緒にいた糸里さんが
この輪違屋さんの天神だったとか。

そこにある近藤さんが書いた屏風。
近藤さんの名前がちゃんと書いてあります。

お庭もすごく素敵でした。

そして、輪違屋から程近い角屋へ。

去年も行ったんだけど、その時は写真撮影禁止!って言われたんです。
でも、今回聞いたら「撮影OK」と言われてビックリ
「去年はダメだと言われたんですが・・・」って聞いたら
「え、そんなことないですよ」って言われちゃった
Why??
ま、撮影がいいのなら遠慮なく~~ってことで
入ってすぐのとこにある台所?みたいなとこ(笑)

こちらが来客用の玄関。

刀箪笥と刀掛け。


こういう場所では、刀は入口で預けるのが常識だったんだけど
新選組はそれを無視して持ち込んでいたそうな

帳場。
ここでお勘定したのかな
そして網代の間。

これね~、もっと引いて撮ればよかったな
天井がこんな風に

網代の形になってるから、そう呼ばれてるそうです。
そして、この網代の間から続く廊下・・・

この先に、あの松の間があります。
この廊下を沖田さんも歩いたんだぁ( ´艸`)
っていうことで、何往復もしてしまいました

そして、ここが松の間。

ここはもうご存知の方も多いですよね。
芹沢さんの暗殺当日、ここで宴会が行われました。
この角屋自体が、重要文化財に指定されてるんですが
この松の間は、大正14年に一部を焼失。
翌年に再建されたため
この松の間だけ、重要文化財から外れているんだそうです。
なので~~、あの当時とはちょっと雰囲気が違ったりするのかな(;^_^A
ちなみに芹沢さんはここに座ってたとか(笑)

あぁ・・・こうして自分のカメラに収めることができて嬉しい
角屋はとにかく、こういう障子がとてもキレイ。

ここから見えるお庭も相変わらず素晴らしい。

去年は気付かなかったんだけど
初代の松の木が、ひっそりと幹だけ残っていました。

っていうことは・・・
あなたは当時を知ってるのね?
沖田さんの顔を知ってるのね?←
・・・で、最後に新選組隊士がつけた刀傷(爆)

新選組って・・・色んなとこに刀傷を残してますね
私は、そこにいた「証」って思ってしまうから
こういうものを見ると感慨深いけど
当時の人からしたら「おい
」って感じよね
そしてここは、長州の志士の方々も利用していました。
角屋の方も、長州の人たちと
新選組が鉢合わせにならないように
配慮していたとか。
花街は、江戸には吉原はあるけど
こうして残ってるのは、この島原だけ。
ここには、当時の人たちの
色んな思いや志が詰まってるんだろうな・・・。
一気にUPしたので、長くなってしまいました
いつも読んでくれてありがとう

たぶん、7月のまだまだ暑い日に
約1年ぶりに島原へ行ってきました。
去年の記事はコチラ♪
今回の目的はこれ。

10年ぶりに輪違屋さんが公開になるってことで行ってきました。
久しぶりの島原の大門。

新選組隊士が何度も通った大門

そう考えただけでも興奮しちゃいます

そして輪違屋さん。

日本で唯一の置屋。
ここは普段、非公開なので去年は建物だけ見て帰ったんです

ちなみにこの輪違屋さんは今でも太夫がいて営業されています。
芹沢さんの暗殺の日、平間さんと一緒にいた糸里さんが
この輪違屋さんの天神だったとか。

そこにある近藤さんが書いた屏風。
近藤さんの名前がちゃんと書いてあります。

お庭もすごく素敵でした。

そして、輪違屋から程近い角屋へ。

去年も行ったんだけど、その時は写真撮影禁止!って言われたんです。
でも、今回聞いたら「撮影OK」と言われてビックリ

「去年はダメだと言われたんですが・・・」って聞いたら
「え、そんなことないですよ」って言われちゃった

Why??

ま、撮影がいいのなら遠慮なく~~ってことで

入ってすぐのとこにある台所?みたいなとこ(笑)

こちらが来客用の玄関。

刀箪笥と刀掛け。


こういう場所では、刀は入口で預けるのが常識だったんだけど
新選組はそれを無視して持ち込んでいたそうな


帳場。
ここでお勘定したのかな

そして網代の間。

これね~、もっと引いて撮ればよかったな

天井がこんな風に

網代の形になってるから、そう呼ばれてるそうです。
そして、この網代の間から続く廊下・・・

この先に、あの松の間があります。
この廊下を沖田さんも歩いたんだぁ( ´艸`)

っていうことで、何往復もしてしまいました


そして、ここが松の間。

ここはもうご存知の方も多いですよね。
芹沢さんの暗殺当日、ここで宴会が行われました。
この角屋自体が、重要文化財に指定されてるんですが
この松の間は、大正14年に一部を焼失。
翌年に再建されたため
この松の間だけ、重要文化財から外れているんだそうです。
なので~~、あの当時とはちょっと雰囲気が違ったりするのかな(;^_^A
ちなみに芹沢さんはここに座ってたとか(笑)

あぁ・・・こうして自分のカメラに収めることができて嬉しい

角屋はとにかく、こういう障子がとてもキレイ。

ここから見えるお庭も相変わらず素晴らしい。

去年は気付かなかったんだけど
初代の松の木が、ひっそりと幹だけ残っていました。

っていうことは・・・
あなたは当時を知ってるのね?

沖田さんの顔を知ってるのね?←
・・・で、最後に新選組隊士がつけた刀傷(爆)

新選組って・・・色んなとこに刀傷を残してますね

私は、そこにいた「証」って思ってしまうから
こういうものを見ると感慨深いけど
当時の人からしたら「おい


そしてここは、長州の志士の方々も利用していました。
角屋の方も、長州の人たちと
新選組が鉢合わせにならないように
配慮していたとか。
花街は、江戸には吉原はあるけど
こうして残ってるのは、この島原だけ。
ここには、当時の人たちの
色んな思いや志が詰まってるんだろうな・・・。
一気にUPしたので、長くなってしまいました

いつも読んでくれてありがとう
