今日は、壬生へ行ってきました。
なんとなく、今日はここへ来たい気分だったので。
まずは、光縁寺へ山南さんに会いに行きました。
・・・が、平日に来るのは初めてで知らなかったんですが
いつも開いている門が閉まっていて

こちらの小門からどうぞwみたいな看板があり
入るのにかなり迷いました
しかも誰もいない・・・。
え~~~どうしよう~~
なんかすっごい勇気いるんやけど~~~
と
一度は通り過ぎたんですが

「おや?ここまで来たのに?」
と、山南さんの声が聞こえた気がしたので←
また戻り(笑)墓前に手を合わさせていただきました
・・・何やってんだか(;^_^A
その後、屯所跡へ。

中には入っていませんが
私はここにいた頃の新選組が一番好きです。
そして、壬生寺。


芹沢さんたちのお墓にもご挨拶。
沖田さんの命日だけど、新選組の方々ということで
壬生寺、光縁寺とそこに眠っていらっしゃる隊士の皆さんに
手を合わせてきました。
壬生寺ではこちらを購入

沖田さんのストラップ。
こちらはお香。

中を開けると

こんな感じで、幹部の名前が入ってるんです~( ´艸`)

もったいなくて使えません(爆)
てか、よーーく見たら
四番隊の松原忠司さん、七番隊の谷三十郎さん
九番隊の鈴木三樹三郎さんがいない・・・
でも、平助の名前があるのは嬉しいなぁ・・・。
でも、壬生寺はもう何度も来ていますが、これは気付かなかったわσ(^_^;)
ほんの短い時間だったけど、ここに来ると
色んな思いが巡ります・・・。



1868年(慶応4年)5月30日。(1868年7月19日)
病により、この世を去った沖田さん。
私が「沖田総司」を知ったのは、もう随分前のことです。
それが、縁が重なり、今こうして命日を偲ぶ自分がいます。
幕末の京を震撼させた天才剣士が唯一勝てなかった「病」。
その最期はあまりにも哀れで
庭先で愛刀を抜いたまま果てていったとも、伝えられています。
誰に看取られることもなく、1人きりで迎えた最期でしたが
最後の最後まで近藤さんや土方さん
そして新選組の行く末を案じていたそうです。
新選組結成から、約150年経った今でも
隊士の方々の名前は語り継がれています。
そして、これから先の未来にも
「新選組」そして・・・「沖田総司」の名前が
ずっと語り継がれていきますように・・・。
なんとなく、今日はここへ来たい気分だったので。
まずは、光縁寺へ山南さんに会いに行きました。
・・・が、平日に来るのは初めてで知らなかったんですが
いつも開いている門が閉まっていて

こちらの小門からどうぞwみたいな看板があり
入るのにかなり迷いました

しかも誰もいない・・・。
え~~~どうしよう~~
なんかすっごい勇気いるんやけど~~~

一度は通り過ぎたんですが

「おや?ここまで来たのに?」
と、山南さんの声が聞こえた気がしたので←
また戻り(笑)墓前に手を合わさせていただきました

・・・何やってんだか(;^_^A
その後、屯所跡へ。

中には入っていませんが
私はここにいた頃の新選組が一番好きです。
そして、壬生寺。


芹沢さんたちのお墓にもご挨拶。
沖田さんの命日だけど、新選組の方々ということで
壬生寺、光縁寺とそこに眠っていらっしゃる隊士の皆さんに
手を合わせてきました。
壬生寺ではこちらを購入


沖田さんのストラップ。
こちらはお香。

中を開けると

こんな感じで、幹部の名前が入ってるんです~( ´艸`)

もったいなくて使えません(爆)
てか、よーーく見たら
四番隊の松原忠司さん、七番隊の谷三十郎さん
九番隊の鈴木三樹三郎さんがいない・・・

でも、平助の名前があるのは嬉しいなぁ・・・。
でも、壬生寺はもう何度も来ていますが、これは気付かなかったわσ(^_^;)
ほんの短い時間だったけど、ここに来ると
色んな思いが巡ります・・・。



1868年(慶応4年)5月30日。(1868年7月19日)
病により、この世を去った沖田さん。
私が「沖田総司」を知ったのは、もう随分前のことです。
それが、縁が重なり、今こうして命日を偲ぶ自分がいます。
幕末の京を震撼させた天才剣士が唯一勝てなかった「病」。
その最期はあまりにも哀れで
庭先で愛刀を抜いたまま果てていったとも、伝えられています。
誰に看取られることもなく、1人きりで迎えた最期でしたが
最後の最後まで近藤さんや土方さん
そして新選組の行く末を案じていたそうです。
新選組結成から、約150年経った今でも
隊士の方々の名前は語り継がれています。
そして、これから先の未来にも
「新選組」そして・・・「沖田総司」の名前が
ずっと語り継がれていきますように・・・。