12/22(日)、ちょこっと巡察に出てきました。

たぶん、これが今年最後の巡察になるのかな・・・。


昨日の夜は実家でクリスマスパーティをやったんですが

お昼に京都駅まで予約してたケーキの受け取りに行ったんです。

旦那さんは旦那さんで用があったので

ケーキは私が取りに…と役割分担をしたんですが

京都駅まで出るのに

私がそのまんま帰るわけないじゃないですかぁ逢いたい!逢いたい!逢いたい!


時間もないので

徒歩で行けて道がわかってる場所!

って言ったら、ココかしか思い浮かばず(笑)


新選組、最後の屯所と言われている

不動堂村屯所跡です。





新選組が西本願寺から、ここへ移転したのは

近藤さんたちが幕府直参になった5日後の

慶応3年(1867年)6月15日のことでした。

でも、実際ここにいた期間は

12月14日伏見奉行所へ引き払うまでたった6カ月間。

その後、建て壊されたため正確な場所は

確定されておらず、複数存在するそうです。

この屯所は屯所の広さは1万平方メートル。

表門、高塀、玄関、長屋、使者の間

近藤さん、土方らさんたちの幹部の居間

平隊士の部屋、客間、馬屋、物見中間と小者の部屋

大風呂は30人が一度に入れたんだそうで

大名屋敷と比べても遜色ない構えだったんだとか。





案内板。

上に書いたようなことが書かれています。

文字が色褪せていて、近くでじーっと見ないと

見にくかった涙涙







事あらばわれも 都の村人となりて やすめん皇御心

新選組局長 近藤勇



近藤さんが新選組結成した頃の歌が

刻まれています。



この場所は、祖父母の家に行くときに

必ず車で前を通るんですが

ずっと前から気になっていました。

「誠」の文字とダンダラ模様で

なんとなく新選組に関する場所なんだろう、と

思ってたんですが

まさか、最後の屯所があった場所だとは・・・ジーッジーッ



この周辺には、近藤さん妾宅跡や

原田さんが妻のおまさちゃんと住んでた住宅跡もあるんですが

場所が正確にわからないので

またの機会に散策に行きたいと思います。


もう少し行くと、西本願寺があり

平助が亡くなった油小路の変があった場所もあります。




そして、その後は無事にケーキを受け取り帰宅(笑)



こうして、少しの時間を縫っての巡察は

来年も続きそうです。






最後に今年のクリスマスケーキはアンテノールでWハートWハート





持って帰るのに

どこかにぶつけないかハラハラしましたあ・・・


めちゃ美味しかったぁ( ´艸`)アップアップアップ