オランダの画家フィンセント・フォン・ゴッホ。
日本に憧れ日本を夢見た稀代の画家。
そして、彼に憧れ終焉の地を巡礼した日本人画家や芸術家たち。
「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」では
直接触れることはなかったけれども、交わり溶け合う
ゴッホと日本人たち二つの夢の奇跡を、
世界各地に所蔵された作品や、貴重な資料で紐解いていきます。
なんと ファン・ゴッホ美術館と初の国際共同プロジェクトでもあるんです。
※ 取材で伺い、特別の許可をいただいて会場内を撮影しています。
ゴッホは1853年、オランダ生まれ。
1886年にパリに移り住み、
画商ピングの店の屋根裏部屋に会った数多くの浮世絵と出会い魅了されます。
浮世絵版画を集め、模写した油彩画を描く中で、
独特の「日本のイメージ」を作り上げていきます。
1888年、画家の共同体を作ろうと南仏アルルへ赴きますが・・・
1890年、パリ近郊のオーヴェール=シュル=オワーズで亡くなります。
第1部 ファン・ゴッホのジャポニズム
ゴッホの作品40点と、同時代の画家の作品や浮世絵など50点が並びます。
歌川広重(左2点)と歌川国貞の浮世絵。
ゴッホは日本からどんな影響を受け、どんなイメージを抱いていたのでしょうか。
ゴッホ、南仏アルルに移り住んで以降の作品。
ゴッホにとって南仏はまさに「日本」でした。
描く作品も、浮世絵のように鮮やかな色合いになっていきます。
日本文学も読み日本文化や人々への崇拝も深めていきます。
が、ゴーギャンとの共同生活も、かの「耳切事件」で破たん。
左 日本初公開
《夾竹桃と本のある静物》
フィンセント・フォン・ゴッホ
1888年 油彩・カンヴァス
その1年後ゴッホはパリ近郊、オーヴェールで自らの命を絶ちます。
1890年のことです。
第2部 日本人のファン・ゴッホ巡礼
ゴッホ終焉の地オーヴェールを訪れた多くの日本人。
ゴッホの最後を看取ったポール・フェルディナル・ガシュは
日本人たちが巡礼に訪れたころにはすでに亡っていました。
が、その息子ガシュ(同じ名前)がゴッホの作品を受け継いでいました。
そのガシュ家には日本人たちの芳名録が残っています。
↑《芳名録Ⅱ》
国立ギメ東洋美術館所蔵
会場には、墨で書かれた絵や、手紙、日記、写真なども展示されています。
そして、当時の貴重な映像も上映されています。
ゴッホの「日本愛」
日本の「ゴッホ愛」
を感じることができる展覧会。
今回日本初公開のゴッホの4点の絵は、見逃せません。
「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」
京都国立近代美術館で
3月4日まで開かれています。
公式HP↓