#入院した経験
入院は3度あります
初めての入院は心臓の心拍数が
3倍になり🚑で病院へ
夜だったので当直の先生と看護婦の二人だけ
3本点滴打つものの
一向に心拍数は落ち着かず
看護婦さんが他の大病院へ
搬送した方が良いと判断され
大きな市民病院へ搬送された
その病院は心臓バチスタチームがいて
注射💉一本で私の心拍数は
平常に
詳しく検査が必要と言う事で
日を予約して帰りました
病院で詳しく検査した結果は
発作性上室性頻脈
と言う病名でした
心臓は電気信号で動いてるらしく
一つ電気信号を速く送ってしまう血管があり
それを焼き切るオペでして
4時間かけてカテーテルアブレーションの
手術のおかげで傷口は小さく
3日の入院ですみました
2度目の入院は
声がいきなりおっさんの声になり
カラオケ🎤行って歌ってたんですが
声が出ない!
次の日
耳鼻咽喉科へ
華の穴からカメラを入れて診てもらったら
なんと双子のポリープがあるとのこと
直ぐに病院を紹介してもらい
即入院
手術は全身麻酔だったので
3日の入院で済みました
1番辛かったのは
1日喋ってはいけない事でした
声を出せないのは辛かった
夜 志村けんのテレビ番組観て
声を殺して見ていた
3回目の入院は
ヤバかった
ふらりと夕方にパチンコに行った
なんだか頭がポコポコ言ってるし
なんか変
外に出たら急に眠気が襲って来た
自分の自転車🚲の横に身体を横たえたら
もうそこから記憶は無くなった
人通りが多い場所だから
いち早く発見されたようだ
長男に連絡が行き
🚑で病院へ
担当の先生はオペ中と言うことで
10キロ以上離れた病院から女医さんが🚑
で私を迎えに来てくれて
自分の病院へ運んでくれた
全く意識は無い私
この女医さんはオペを一つこなし
わざわざ私を迎えに来てくださったらしい
4時間はかかった大手術
心臓大動脈解離🫀なのだから
胸はメスで切り裂かれ
人工心肺が付けられ
口には酸素吸入
生存率20%といわれたが
女医さんが80%にしますから!
息子達は私の死を覚悟したそうです
あれからどのくらい時間が経ったのだろう
頭の中にユーミンの
海を見ていた午後が
ずっーとなっている
何度も何度も
気が付いた私はICUに寝かされていた
相変わらずユーミンがなっている
病院の有線なのかと思い 看護士さんに
尋ねたらいいえ かけてませんよ
私の頭の中だけかぁ
その後は術後せん妄が起きて
会話やメールも満足に打てなくて
変な妄想や勘違いが沢山襲ってきました
キム・ジョンウンから
殺すとメールが来たと私が言ったそうで
だれかが殺しに来ると恐怖に怯えてました
そんな事ある訳ないのに
せん妄は怖いです
リハビリ専門の病院へ移り
毎日毎日身体を動かし頭を使い
せん妄も解けて
元の病院へ戻りました
すっかり自分を取り戻した私を
見て
看護士さん達が沢山集まって来て
励ましてくれました
調子に乗って踊ったり
水戸黄門の真似までして皆んなを
笑わせてました
3ヶ月の入院となりましたが
一命を取り留める事が出来で
先生方に感謝感謝です
傷跡は胸に縦一文字にありますが
私が助かった証です
この時
10キロ痩せて嬉しかった
しかし退院してすぐに
元に戻って行くのが悔しかった
綺麗な病院でした