https://blog.ameba.jp/ucs/entry/srventryupdateinput.do?id=12890070886

先日の日記に何かの拍子に私が考える人間の分類法について書いたと思う。

原発推進賛成か反対かの2種類の人間に分けるんだと、それが全てなんだと。

私にとってそれは正しい。

補足すると賛成か反対かであって、中立的立場は世の趨勢に沿って(反ってでは無い)今は前者になる。

その分類による二つの方向性があってその先に社会のすべての事象が展開されるからである。

もちろん、この分類法は自然界から見れば取るに足らないようなことだが、人間にとっては最も基本的な、生存を脅かすことにもなりかねない重要なことなのだ。

したがって私は他人を見るとき相手がどちら側の人間であるかだけを気にする。

何故なら民主主義社会においては民衆が社会の方向性を決めるのだから。

詳しい政策などは知らなくても原発についてのスタンスだけは考慮して政治屋を選ぶことになる。

それが男であろうが女であろうがタカ派だろうがアメリカべったりだろうが美人でなかろうが(ピッ)不倫してようが、何も気にしなくてよい。

ただ原発推進のベクトルを持っていないこと、これがいちばん重要なことである。

この世のすべてのことはそこに関係してくるのだから。

ディープステートによる世界支配を論じるよりも前に置かれなければならないことだ。

「なんか外れてない?」

いいえ、決して外れてはいないですよ。