私が脳の変調を知ったのはまだ仕事を捨てていないときだった。

仕事もタイトだったが私達家族に降りかかったプライベートな問題がそれ以上に私の脳に影響を与えていた。

毎日酩酊状態で家に帰るのが日課であったのは、覚えている父の若い頃と同様だった。

姿形が私とクリソツの父は足腰立たないほど酩酊して玄関に倒れてしまっても頭脳は明晰であった。

それは現在もそうであって101歳の今でも体は脳の指令系から離れてしまったが頭脳は健全性を保っている。

私も同じDNAであって、仕事は主にアルコールの作用によってなされていた。

素面で出来かねる仕事もアルコールがテキパキと非情にやってくれていたのだ。

ところが仕事以外の要素が絡んできて私の脳はどうも根を上げてしまったのだろう。

以前書いたフクロウとカメの幻覚が見えてしまったのだ。

過去の日記を探るのが面倒なので又書く。

フクロウは私の帰り道の街路樹のクスノキの枝に止まって私の方を見ていた、まん丸い目がリアルだった。

カメはとても巨大でマンションそばの水路にはまり込んで身動き取れずもがいていた。

いずれも翌朝その痕跡を探したがもう見当たらなかった。

ずっと何ヶ月も現実だと思い込んでいたが二度と見ることはなかった。

でもやがてその不合理性が私の中で、現実に見たと思っていることと反目しあってきた。

フクロウが都会の街路樹にいるはずはない。

しかし止まっていたクスノキの木の位置もその枝の形状も克明に覚えている。

ウミガメのような水路幅いっぱいもある大きな亀が陸の水路にいるはずはない。

しかし亀が身動き取れずはまり込んでもがいていた位置を正確に覚えている。

ここで私は冷静に分析して次のように納得した。

都会のクスノキに椋鳥が集まってきて市民が迷惑しており、鷹を放して追っ払うことが行われている。

ペットのかみつき亀が水路に放され大きくなって人に危害を加える恐れがある。

これらはいずれも新聞やテレビからの情報である。

クスノキの枝や水路の位置は毎日見ていてよく知っている、脳が描き出すことは可能だ。

私の脳はその描き出した絵にフクロウやカメを描き加えたのではないか。

余りにもリアル過ぎて私は何ヶ月もの間、その幻視を真実だと信じ込んでいた。

現在でも未だ少しだけ信じているのだから余りにもリアルに私の脳は創作をしていたのだろう。

その幻視現象は今なりを潜めているが、幻聴が現われてきたのだ。

父は良く「話しのツボが分からない」と言っていた。

声は聞こえているが何と言っているのか意味が分からないんだと。

私もそうなんだろうな。

私の場合は分からないままにはしてくれない脳が悪さを加えてしまうのだが。