道後温泉本館は四国松山の文教地区にあるが、多くの観光客が訪れて賑やかなところだ。

3000年の歴史を持つ日本最古の温泉地に有るこの公衆浴場は130年前に改築されて国の重要文化財となっている、維持管理には並々ならぬ努力がされていることだろう。

1年前に長いリニューアル工事が終わって営業を再開した。

私が妻と訪れたときにはリニューアル工事の影響で入れなかったことが心残りになっており先日息子達と再訪してきた。

 

 

 

 

 

 

アニメ「千と千尋の神隠し」を思い出させる大きな公衆浴場は複雑な内部構造を持ち、案内されないことには迷ってしまうだろう。

ここで思わぬことが私に起こった。

この公衆浴場は皇族も利用していたものであり70年ほど前まで天皇が来ていた特別なエリアは今も現存し観ることが出来る。

館内では各々の客にコンシェルジュが付いてきめ細やかな案内をしてくれる。

大正天皇が1回、昭和天皇が2回利用したという皇室専用浴場へ閲覧入場する前に、

コンシェルジュの若い女性がロッカー室のロッカーの扉を開いてくれて、

「写真撮影は・・・」と言ったので私はロッカーの中にスマホを入れてしまった。

ところが、「ここが天皇が着替えられた部屋です、どうぞ写真を撮ってください」と言う。

えっ、カメラ置いてきたんですけれど、どういうこと?

 

 

              天皇の着替え所

 

すると息子達が、

「そんなことは言われなかったよ、むしろ貴重な体験だから写真を撮ってくださいとの意味のことを言われたよと、スマホを出して写真を撮っている。

そんな、うそでしょう、まったく逆の意味に聞こえることがあるだろうか?私には、

「写真撮影は出来ませんからカメラは置いていってください」そう聞こえた。

ところが息子達には、

「写真撮影は出来ますからカメラは持って行ってください」そう聞こえたと言う。

私の耳からの情報はまったく信用できないものに成っている。

耳も聞こえ難いが、たぶん脳の仕業なんだろう、最初の一言を聞いて後に続く言葉が創作されてしまうようだ。

私の脳にはコンシェルジェの言葉がイントネーションまではっきりリアルに焼き付けられている。

おかしい、これは厄介なことが起こっている、何を信じれば良いのだ。

たぶん職業病であろうが労災認定される可能性は極めて低い。

多くの仕事量をこなすには相手の言うことを最後まで聞いていては遅かった、こちらで仕事のストーリーを創り上げて計画を練り、相手が話し終わる頃には仕事をほぼ終わっていなければ次の仕事がこなせなかった。

そのやり方で大きく仕事をミスったことは10回に1回程しかなかった(あるのかよ)。

仕事を辞め田舎暮らしをしているうちに脳の性能が劣化してきたんだろう。

とりあえず、脳を蘇らせるためには美味い地酒を飲んでおかなければならない。

あの頃はアルコールが仕事をしてくれたのだから。

その効果か?、泊ったのは安いゲストハウスだったが、ここ数年来経験したことの無かった熟睡によって翌日の精神は研ぎ澄まされていた。

深い会話と美味い料理と酒が人体には必要であることを再確認できた。

 

                天皇が入った浴槽。

この浴槽と同じレプリカが有って入浴も可能とのことだが入りにはいかなかった。

実は天皇の便所も見せていただいた。

畳が敷かれた和式(当たり前か)だったが、息子達は絵を撮っていなかった。

 

 

 

 

 

「鯛めし」がこの地の名物らしい。

予想していた炊き込みご飯では無く、鯛の切り身をごはんに混ぜ込んで出汁を掛けて食べるものだが、カツオでなくてもなかなか美味かった。

松山は文教都市のためか飲食店の終了時刻は若干早めのようで、賑やかだった道後ハイカラ通りも10時でシャッター通りに化けてしまい二次会の居酒屋を探すのに苦労したが料理も酒も美味くて、若者が多く棲息していることも三重県のような田舎町とは違っていた。都市のスケールはこれくらい無いと面白く?ない。

せっかく四国に来たのだからと翌日讃岐うどんも2軒ほどはしごしてきた。

 

 

 

旅行中上記のような私の脳の厄介な現象を何回か経験したが、些細なトラブルは招いても生存の危機を感じるようなことではない、診療内科などの暖簾は絶対くぐらない決意をしている、薬で状態を更に悪くしてしまうことが分かりきっているから。

自然治癒力で回復していくことにしようと思っている。

それにはもう一つ必要な要素を加えておかなければならない、深い会話と、美味い料理と酒と、もう一つ、リスキーな行動だ。

脳回復の一助になるかと考え息子達に私の唯一?の趣味であったオートバイへの復帰をどう思うか問うてみたところ、意外や意外「No problem!」ハハハ

今はもうゆっくりと歩もう、時間はまだたっぷりと残っているだろうから。