春に百姓仕事が始まるのを嘆いていたyさんです。
しみじみと「また嫌な季節がきてしまったなあ」と。
足が痛くても8反の田んぼは消えて無くなってはくれません。
集落最後の稲刈りも済ませて嫌な季節は終わったようです。
今年は珍しく奥様も手伝ってくれたようで、機械では刈れない所を手で刈っていました。
yさん来年も米作るんでしょうか?
奥様にはときどきジムでお会いするので冗談口調で、「もうやめさせてあげれば?」と言ったら、
『ダメなのよ機械そろえてしまったからやめれないのよ』と。
サラリーマンだったyさんは定年後妻の田舎に来てすぐに、退職一時金で米作りのための機械をそろえました。
米作りを放棄したら今までの自分の人生も否定してしまうことになるのでしょうか?
辛い立場に立っているようです、私のそばに来て愚痴を言いたくなる気持ちが解ります。
私としては早く足の痛みが無くなってくれることを祈るだけですが、
足が治っても根本的なものは解決しないようにも思うんですよ。
yさんは百姓仕事をやったことのないサラリーマンだったのです。
60を超えてから一から米作りを習ってやり始めたのです。
妻の実家が百姓家でyさん以外に出来る人は居なかったからです。
他の農家は高齢で後継者も無く次々と米作りを放棄しているのです。
自分もやめたいのに妻も義父母も喜んでくれてるからやめれなかったのです。
何年か繰り返すうちに義父は亡くなり、いよいよやめたい気持ちは大きくなってきたんでしょう。
yさん、無理をしなさんな、やめても誰も咎めないですよ。
妻も義母も良くやってくれたと思っていますよ。
yさん、
このあたりの人が僅かな田んぼしか無いのに何で高い機械をそろえてるのか知っていたのかな。
少しでも楽をしたいからですよ。
それほどに百姓仕事って大変なんですよ。
やってみて分かったでしょう。
yさんは機械が米を作ってくれると勘違いしていませんでしたか?
機械で少々楽には成るけれど、米作りってそもそもが大変なんですよ。
何も儲かりませんしね、たくさん田んぼを作れば作るほど赤字が増えるんですよ。
やめることが出来るなら皆やめたいんですよ。
yさんはやめてもいいんですよ、そう気持ちを切り替えてくださいよ。
高齢のお義母様がまだ自宅で介護を受けて居るそうですが、もしかしたら遠くないうちに精神の変節点がおとずれるかも知れませんね。
それを祈る訳にはいきませんけれど。