日が昇る前の空が白み始めた時代だったのだろう。
皆がまだ夢を観ているようなときだったとも言えるか。
その工場は飛ぶ鳥を落とす勢いで、世界中が注目する中この地に進出してきた。
立地自治体は大歓迎、至れり尽くせり大盤振る舞いで迎え入れた。
明るい太陽が昇り輝き始めるのは解りきっていたし、永遠に陰ることもないと信じていた。
工場の増殖は何年も先まで計画されていて、地域の潤いもずっと続いていくものと思っていた。
その1期工事の1棟目。
オールクリーンルームの液晶工場は建設初期のどろんこ遊びのときから神経質な性格を持ち、出来上がったときには埃ひとつ有ってもいけなかった。
そんな特殊環境に納められる昇降機など何処にもあるはずがない。
しかし納めることになっていた、安売りに関して我が社は超一流であったから。
スーパーゼネコンのs社は顧客の仕様に答えられないことは百も承知で我が社に昇降機設置を依頼した。
当然のこととしてゴタゴタ事はずっと継続していき大赤字を被って何人か首がはねられた後ようやく納まった、私はもう忘れた頃にその工場を又たずねた。
スーパーゼネコンのs社はまだ工場内に事業所を構えて常駐しており、工場責任者と私の茶飲み話?に同席してきた。
私は納めた昇降機のメンテナンス動線にクリーン規制がかかりすぎていることを解消したかった。
s社はそこで即座に工場責任者に提案書を出してきた。
「hさん専用のエアシャワー室を設けましょう、概算1億で作ります」。
アハハ、アホなこと言うなよあんた、あんたとこがうちにくれた昇降機代の何倍ふっかけるんだよ、うちはこれからあんたんとこに取られた赤字分をこつこつと工場から取り戻していかなあかんのだよ。
EV機械室に入るだけにそんな負担を顧客に負わせられるかよ、どうせ鼻くそほじりに入るだけなのはあんたも良く知ってるやろが。
ところが、顧客はその話に乗り気になってきたので私はいつものようにうそ通話を演じて、「急用で申し訳ない」と言ってトンズラかってきた。
その後本当にEV保守員が鼻くそほじりにEV機械室に入るとき専用エアシャワーを浴びるようになったのかは知らないし知りたくもない。
その工場も今では閑古鳥が鳴いており、飛ぶ鳥はたくさん落とせなかったようだ。
生産設備は海外に持って行かれ(当初から搬出を念頭に設計されていたようだ)、膨大な人数の人員整理は地域社会を破壊してしまった。
誰かにそそのかされて林立したビジネスホテルも商店街もさびれてしまって久しい。
日本人が得意としていた几帳面さは海外で同じ物を作るのに必要ではなかった。
埃ひとつ有ってはいけないと思い込んでいた環境も実は必要なかったのではないか。
日本人や日本の企業にとって長期計画なんて出来る世の中ではないのかもしれません。
目の前に成ってる果実を採るだけで精一杯なんですよ。
巨大だった電機も介護産業や梅干し作りで生き延びるしかないような現実です。
でもね、おいしい果実が採れたやつもいるのは知ってるんですけどね。