この村の豪雨災害のことに触れたら興味を持ってくれた人が居たので追記します。

その前に、私がこの町のことを今も村と呼んでいるのは、前は人口3000人ほどの村だったのが平成の大合併で隣町と合併し8000人(合併当時はもっと多かった)ほどの町になったが、私は絶滅してしまった村というものを懐かしみたいのです。

豪雨災害はこの町が村であった頃の2004年9月に発生しました。

正確な雨量観測記録は無いと思われますが、とにかく村の長老たちも経験したことのない大雨が一気に降ったのです。

東西に長細いこの村には一本の川が流れていて二つのダムが有ります。

ダムは最上流部と最下流部(村の範囲内のことであって、河口という意味ではありません)に有ります。

二つのダムの堰堤は30キロ離れていて、その間の川沿いに人の生活圏が有ります。

下流のダムの湛水範囲に人が住んでいるのです、上流のダムは村人を移転させて作ったのでもう人は住んでいません。

上流のダムは私が生まれた頃、下流のダムは私が小学生の頃に出来ました。

二つのダムは電力需要を見越した発電ダムですが、もちろん治水や用水・洪水調整にも役立つ多目的なものです。

村の面積の95%は森林であり、そこに降った雨は全てこの川によって伊勢湾に流れていきます。厳密には上流のダムからは人工的に作られた道水管を通って発電用水が熊野灘に流されていますが、災害時の降水量に比べると取るに足らない微小な水量と言えます。

平常時は降水予測によってゲートの開け閉めをして貯水量調整をしていますが、想定を超える大雨によって調整できなくなり、上流ダムは全流入量を放流し、下流ダムも最大放流するも追いつかずオーバーフローをしてしまいました。

想定を超えることが起こり得るのが自然現象である訳ですが、それをわかっていてもそれに対応できるような設計にはできないのが現実です。

下流のダムは堰堤こそ破壊されませんでしたが堰堤を乗り越えた水で発電設備等は全滅して機能を失いました。

(原発でも同様に想定を超えることは起こり得るのですが、被害は単なる物理的な損壊だけに収まらないところが「やめておいた方が良い」理由なのです)

過去経験したことのない降雨量は過去経験したことのない下流ダムの水面上昇をもたらし、自宅で怯えていた人を濁流となったダム湖に飲み込んでいったのです。

被災者の家族は何かしら納得出来ない気持ちになったのでは無いかと思います。

人災・・・とまでは言わないがダムによる影響を疑ったのでは無いでしょうか。

ダムが出来る以前の川の水は現在のダム堰堤下面の位置までの高低差を勢いよく流れ落ちていたはずです。

それがダム水面までの落差しか無くなってしまったのです。

しかもあのときは堰堤上面より数メートルも水は乗り越えていたのです。

上流のダムから放流された水は行き場を無くして人の生活圏まで侵入していったと思われます。

太古の昔から急流を流れ下っていた川の水はダムでせき止められることによって滞留し、長い年月で水面下の土壌の含水量や保水力を飽和させ、いつ崩れてもおかしくはない状況を作り出していたのかもしれません。

川やダムを管理する県はもちろん、何も落ち度は無かった、想定外の自然災害だったと言いますが、身内を亡くした当事者としては納得出来ないものも有ったでしょう。

私は水力発電は良いことだと思っています、北欧(特にノルウェーは水力95%もの発電割合です)のように水力発電にもっと頼っても良いと思っています。

それで原発を無くせるのなら大賛成です。

しかし大規模で人の移転を必要とするようなダムを作らずにもっと小規模で草の根的な形態のものにすべきだと思っているのです。

水資源の豊富な日本です、技術力も世界一でしょう、農家が休耕地に作る太陽光発電所のように個人レベルでとまでは言わないけれど、集落単位・村単位くらいの小規模水力発電が増えていってほしいと考えるのです。

村の電気屋さんや建築屋さんでも作れるのではないでしょうか。

国が主導すると原発同様に重電や大手ゼネコンでなければ作れないような規模になってしまいます。

利権が伴わないと国はやりませんから。

また横道に入ってしまいましたが、そのような災害が過去この村に有ったのが事実なんです。

太古の昔から雨に強かったはずのこの村が、とても脆弱になってしまっていたのを知った時でもあったのです。