妻の闘病生活は続いていた。

私の苦しみも続いていく。

人も生き物だから苦しみから逃れたいのは本能だろう。

拷問を受けながら苦しみに向かっていけるような人間はいない。

苦しみが終わることを望んだとしても誰からも責められることではないとわかっている。

それは妻の死を意味している。

私は妻の死を望んでいるのか。

避けられないとわかっている妻の死を早くと。

私はそれに明確に解を出せるような人間ではない。

そんなジレンマに囚われている夫に付き合っているほど妻に時間は無かった。

妻は簡単に解を出した。

自宅マンションから目と鼻の先に有るショートステイ施設を利用するようになった。

大手電機メーカーの名前が入ったその施設はもちろん事前に見学を済ませてあった。

私には入出時のセキュリティーが厄介だな程度の認識であったが、妻がいくつもの施設を見学した中から選んだのだから間違いはなかった。

前にも書いたが介護施設のショートステイという利用形態は現在絶滅しつつある。

「ロング・ショートステイ」という意味不明な利用形態が普通になっている。

妻も1週間、2週間、3週間と利用期間が増えていって、最終的に自宅に戻るのは訪問医療の有る日だけになっていった。

訪問医療を受けるには在宅でなければならない"仕組み"を私は深く知りたくない、医・介連携が患者の方を向かず各々の業界?の方を見ている姿勢は透けて見えるのだが、とにかく一旦在宅を装う為に家に戻り又直ぐ施設に戻った。

目と鼻の先に施設は有ったが妻の荷物は非常に多い、移動のときには両手で持てる範囲に収まるはずがない、一体何回荷物を運んだことだろう。

自由に出入り出来ない介護施設のセキュリティと自宅マンションのセキュリティが、予想した通り私を憂鬱にするが、やがてその荷物も施設に置きっ放しとなっていった。

妻がショートを利用し始めた頃、妻は私に「施設に手紙を置いてきて」と望み、その手紙を私は途中で盗み読んだ。

私はその手紙の中身を知りながら施設の人に手渡しすることはできずにポストに投げ入れてきた。

その後その施設に、それ以降妻と私が大変お世話になる人が現れる。

yさんとs氏である。