格差社会と聞いて日本人が思い浮かべることは、まず自分たちの置かれた立場になるのでしょうが、真面目な日本人はお隣の韓国や中国のことにも想いを馳せてしまう。戦後手本にしたアメリカに想いが及ばないのは教科書に間違ったことは書いてなかっただろうとの真面目さを通り越したク●真面目さからの認識不全ではないだろうか。私の世代はそのク●真面目さももちろん継承してはいるが教科書以外の媒体からの影響も受けてきたために同世代の"彼"の本質なんかも透けて見えてしまうのだろう。多感なころ、脳を大陸からの毛攻撃に誘電されてしまっているのでどうしても日本は母なる大陸の子供なのではないか、との危険思想を深層に隠し持っている。現在中国の格差がもたらす裏返った繁栄を目の当たりにしていると、教科書側に属すであろうAIの言うことも聞いておくべきではないかと思うのです。

私:毛沢東の誤算はなんでしょうか?

AI:毛沢東は20世紀の中国を形作った巨人であるが、彼の思い描いた未来と、現在の中国の姿との間には大きな隔たりがある。彼が掲げた理念、農民主体の共産主義、平等な社会、そして自己完結した経済体制は、今日の中国の現実とは正反対のものとなっている。

最大の誤算は、経済の方向性にある。毛は資本主義を否定し、「大躍進」や「文化大革命」によって国家主導の平等社会を築こうとしたが、それは大規模な混乱と貧困を招いた。ところが、毛の死後、鄧小平は「先富論」と改革開放政策を導入し、市場経済を取り入れることで中国を経済大国へと押し上げた。今日の中国は、共産党の一党支配体制のもとで、かつて毛が最も嫌った「格差ある経済成長」を推進している。

また、毛が信じた「群衆動員による政治」は、今や管理社会・監視社会へと変貌している。毛の時代には、民衆が紅衛兵として政治運動の主役となったが、現代中国では国家がテクノロジーを駆使して個人を監視・統制し、安定を保っている。毛が夢見た「民衆による革命的活力」は、今や「秩序と統制」に置き換えられた。

皮肉にも、毛が否定した資本主義、格差、グローバル化、ハイテク管理社会、これらすべてが、今の中国を支えている。経済成長は著しいが、農村と都市、沿海部と内陸部の格差は広がり、個人の自由は制限されている。毛が思い描いた「理想の社会主義国家」は、実現どころか、遠ざかっているようにも見える。

つまり、現在の中国は毛沢東の思想を表面的には継承しつつも、実際にはその多くを乗り越え、あるいは裏切ることで今日の繁栄を得ている。その繁栄が持続するのか、それともまた新たな「誤算」が生まれるのか。それはまだ、歴史の審判を待たねばならない。

 

 歴史の審判はいつ下されるのでしょうね。

本当はあまり関心もないし私が死んだ後のことでしょうね。

「それがあかんのや!」って、ハイハイ、わかりましたよ。

頭のク●取っといた方が良いよ。