夕方5時を過ぎると生きた心地が戻ってくる猛暑が続く毎日です。
昨日は鈴鹿8時間耐久ロードレースをテレビで一日中見ていました。
涼しい部屋で冷えたビールと共に。なので、
画面の向こうで行われている真剣で過酷な世界の実感は有りません。
どのライダーが勝とうが、どこのコンストラクターが優勝しようが、余り私には重要ではありません。
私が鈴鹿8耐を見に行っていたのは1980年代のころですから40年も前になりますね。
今ほど暑くは無かったのでしょうが、6キロあるコースの外周路を歩いて観戦していましたから、行く先々の売店でいったい何本の缶ビールを飲んだことか。
途中で暑さと酔いに疲れ果てて、日陰もない炎天下の芝生に倒れ込んで寝入ってしまうのがいつものことでした。
目が覚めるとすっかり夕暮れ時になっていて、もう暑くはないのですが、レースはまだ続いているんですね。
ライダーは命がけで走り続け、ピットクルーには一瞬も気が抜けない時間が継続していたのです。
この耐久レースというのはヨーロッパ、特にフランスが本場であり、とことん、精根尽き果てるまで人もマシンも戦ってこそ、真価が分かり評価に値するという文化が根付いているのです。
ル・マンやボルドールのように24時間戦い続けたからこそ、その勝者は賞賛されるのだと、いかにも歴史ある国の人達の考えそうなことなのです。
スプリントレースの多いアメリカに近い日本のモータースポーツからは少し異質でわかりにくいかもしれませんね。
とにかく、まだやっていたのか?と、思うほど延々とレースは行われるのです、栄光のゴールに向かって。
レースに参加している当事者達は8時間の間一瞬も気を休めることは出来ません。
ライダーは交代制ですが自分がライディングしていないときも、体は休めるけれど気は張り詰めているでしょう。
ピットクルーはいつ何時、どんなトラブルが発生するかと構えていなければなりません。
マシンの設計から製作に関わった者は、意図したことがその通りに機能して持ちこたえてくれるかと気が気ではないでしょう。
なんか自分の仕事ともよく似てたんですよね。
でもね、自分の場合は48時間耐久くらいが普通でしたけどね。ハハハ
あの頃は、マシンはもちろん日本製ばかりでしたが、ライダーはアメリカ人やオーストラリア人が頭角を現してきたころで、日本人も混じって耐久とは思えないようなスプリントレースが展開されていました。
途中で耐えられずつぶれてしまうマシンも多かったですね。
しかし老舗のフランスチームにはやはり一日の長があったように思い出しますよ。
同じマシンを使っている日本チームとフランスチームに、同じマシントラブルが同じ時間に起こりました。
日本チームは根本的対策をしようとエンジンを分解し始めました、フランスチームは応急処置を施し直ぐにライダーを送り出して、ガムをくちゃくちゃ噛んでいました。
日本人の生真面目な性質がレースを制すという本質を見失った瞬間だったんですね。
現在ではもう、今は昔のお話しになっていますけどね。
以上、8耐ものがたりでちた。