この村に老人介護施設が増えてきたのは25年前に介護保険制度が出来てからのことになるのですが、それまでの老人介護はどのようになされていたのだろう。
昔、村に唯一の老人ホームが有ったのは知っています。
その老人ホームがいったいいつ頃出来たのか正確には知りません。
私が小学生のときには既に有ったのを覚えていますから、昭和30年台初頭に出来たのではないかと思っています。
その老人ホームは地元のある篤志家が建てて村に寄付したものだと今日101歳になった父のけんちゃんは言う(本人は102歳だと言い張っていますが)のですが、私は別の信頼できるご老人から地元に有るお寺の住職が建てたんだとも聞きました、真相についてはまあ確かめようとも思っていません。
その頃に老人ホームの需要?(必要性)が急速に高まったことはうかがわれます。
それは村営の老人ホームとなり今から5年ほど前まで運営されていましたが、今は取り壊されて跡形も有りません。
現在この村に雨後のタケノコのように増えた老人介護施設なのですが、その頃はそんな施設は一切無く、老後の選択肢は多くは有りませんでした。
その頃の村の人口は現在より多かったと思われますが、高齢者の比率は現在より圧倒的に低かったと思われます。
それを正確に調べて何らかの関連式を解いた振りをするつもりは有りません。
村にたった一つの老人ホームが村人にどのように捉えられていたのかを知ろうとも思いません。
現在の介護施設の実態などから、当時を思い起こして分析してみてもナンセンスでしょう。
何故ならそれ以前には老人の終の棲家になり得る入所施設など一つも無かったのですから、要介護老人には選択肢は二つだけしか無かったのです。
自宅で嫁(嫁が犠牲者)の世話になるか?、姥捨て山に自ら登っていくか?、です。
現在でも時々老人の行方不明情報が防災無線から聞こえてきますから、その思考回路は今も切られず生き残っているのかも知れません。
乱立?した老人介護施設について思うことは、その需要(必要性)は有ったんだと認めるとともに、村の介護保険料は高額になってしまい、行政も村人も喘いでいる事実を嘆いています。
寝たきり高齢者が介護施設で生きていくためには現役世代が生産する(稼ぐ)以上のお金が必要なのは明らかです。
嫁の犠牲でなされていたことを社会システム上で行おうとすると大きなロスと利権の無駄がともなうのです。
私も、あれほど身も精神も犠牲にして働いて稼いだお金で、たった1人の高齢の親も生かしてやることが出来ないと知ると、「これはおかしいよな」と思うのは自然でしょう。
どうなっていくんでしょうね。
誰しも人ごとではないはずなんですけれどね。
「政治じゃないの?なるようになるよ」って、
無知でお気楽で自分の老後の設計さえ出来ない人も居るのは残念なことです。