妻は1人でヨーロッパまで行ってしまうような旅の好きな人でした。

一応私も誘ってはくれるのですが、

「お友達を誘って行ってきてくれませんか?その方の費用を出しますから」

そう繰り返してきたものですから私が一緒に行くことになるとは想定外だったはずです。

私は妻に言わせると「仕事だけしていれば良い人」だったのです。

毎日毎日、”大嫌いな仕事”をしてたまの休日にオートバイで飛ばしていれば幸せでした。

大嫌いな仕事ではあったのですが、それ以上に充実感が得られることは地球上に無いと思っていたのも確かです、オートバイもそうでした。

ところが何故かそのバスツアーには心惹かれたのです。

何か危険な匂いを嗅ぎ取ったように思い出します。

私が興味を示すものは危険なことだけですから、仕事もオートバイもそうだったんです。

そんな危険なバスツアーで妻1人だけを楽しませてしまうはずは有りません。

そのバスに乗ってきた犠牲者は年配の夫婦ばかりで、私達夫婦は一番若いようでした。

当時自虐ネタで人気になっていた芸人と同じ名前の運転手さんは自らの自虐ネタで犠牲者達を笑わせながら、今思えば自虐の聖地と思える場所に私達を放り出して、自分は運転席で眠りこけてしまいました。

そこから私達は自らの足で急坂を登って行ったんです。

降り続いた雨でこれ以上滑りやすいぬかるみは作れないだろうと思われる赤土の山道を。

目指す展望所は標高750mの山の中腹に有るようです。

少し歩いて1人1人は「これは無理ではないのか?」と思ったはずですが、集団行動の心理作用で登り続けていったのです。

そして何が起こったのか?

バスの乗客の9割は滑って転んで泥まみれの様相に変わっていったんです。

私は何回か泥の滑り台でサーフィンをしましたが転ばずに生き残りました。

妻はどうしたか?

早々とリタイアを決め込んでゲラゲラ笑っていました。

妻は病気の兆候を敏感に察知して登るのをやめたんです。

妻の判断が正しかったのです。

そんな、一種愉快でもあり、私達夫婦には行き先を暗示するような、思い出の場所だったのです。

その場所から見える風景とはどんなものか?

何の変哲も無い山々です、しかし真ん中の山の頂上には、

 

城跡の石垣が残っていた。

 

その城跡がこのように見えたり、

 

このように雲海に浮かんで見えたりすることがある。

「天空の城」と言われる所以です。

バスツアーの犠牲者にはそんな奇跡のような風景は見えませんでした。

泥まみれになって自虐ネタを聞かされ帰ってきたのです。

 

その場所をもう一度見てみたいと思い立って息子達も巻き込み、

9年ぶりに乗るオートバイで行ってきたのです。

時の流れは泥んこだった山道を綺麗に整備してくれてありました。

時期的に雲海が見えるはずも無くとても暑かったけれど。

息子達と、妻の思い出を交えて語り合えたことが私にはとても嬉しかったのです。

封印していた酒も作用して私はとても良い気分になりました。

あの場所の近くだからと、ポチッとやったホテルもまた素晴らしかったのです。

何年かしたら又訪れてみたいと思っているのです。

 

ホテル従業員も良く利用するという居酒屋は城跡のライトアップが良く映える立地に有った。

 

無断で使った肖像権より親の権限は勝る。

 

時計もテレビも無いこのホテルは時間を忘れられるように配慮されていてサービスも一流。

国の登録有形文化財に指定されたこの建築物は150年の歴史を誇る元酒蔵であったそうだ。

文化財指定によって良く有るような不都合は今まで何も発生していないそうだ。

文化財保存への一助になったかと思うと私達も嬉しかった。

 

旅の足となった私の有形文化財であるノートンマンクス350レーサー(嘘ですよ)。

600キロ走っても燃料を15リットルしか消費しなかった最新の日本製オートバイです。

カメラ・オートバイ・トランジスタラジオの日本製三種の神器はまだまだ健在なようです。