この村は子供は少ないが子供の村なんだと、そう思う。

子ども達が大事にされ過ぎている。

私は子供嫌いというのでは有りませんよ。

事実を書きます。

私が小学生だった昭和40年台初頭頃は現在と同じ学区に5校(1校は分校)の小学校と3校の中学校が有ったが今は統合されそれぞれ1校になった。

統合されてからまだ30年にならない。

立派すぎる学校施設は連綿と続いてきた補助金獲得箱物行政の集大成だと、村人は思っていない。

そのときのことを人から聞きかじって書いているのですが、真実相当性のあることです。

旧各小中学校にはそれぞれの思惑が有ったのだろう。

学校は近いところに有るに越したことはない。

父兄としては自分が通った同じ学校に子供も通わせたいという心情も有る。

学区間での格差意識も過去からあったようだ。

川に沿って東西に長細いこの村は行き止まりの最奥部に行くにしたがって何かと生活に不利なことがつきまとう。

教職員の生き残り競争もあったようだ。

産業の乏しいこの村では教職員はとても就業比率の高い職業になっている。

私の周囲にも現職元職の教師がたくさん居られる。

でも、統合せず学区をそのままにしておく不合理性を理解する人も多く居たはずだ。

遠くなってしまう学校には新たな不都合も生じてしまう。

今まで無かった生徒の送迎バス運行の必要性に疑問を投げかける人に、

「こんなに村に車が増えたのに子供を歩かせて事故に遭ったら、あんたが責任をとってくれるのか?」

事故の責任は事故を起こした当事者にあるはずだが、そんな感情論がまかり通ってしまう。

結果、送迎バス付きの小中学校になっている。

昔私が通っていた小学校には大人の足で片道1時間15分もかかる通学路を、毎日歩いて通っていた同級生が居た。

前に私の集落にバス路線はあるが上り下り1日1本の使えない路線であることを書いたが、生徒達には確実に日々の通学に使えるバスが用意されている。

そのバスに住民は一緒に乗せて貰えないのかというと、乗せて貰えない。

どんな危ない人物が乗ってくるか分からないようなことを学校(村当局)は採用できないそうだ。

その論法でいくと子ども達は乗り合いバスにも乗れないのだろう?。

その生徒用の黄色いバスとは別に保育所のピンクの園児バスがほぼ同じ時間に運行されている。

それを統合してしまう知恵は出ないものかと不思議に思っている。

通学通園バスの運行もこの風前の灯火の村にとっては雇用創出の重要な施策のようだ。

今月の村の広報誌でもバス運転手の募集がされていた。

大型一種免許所持者はこの土建屋天国の村には沢山居るのだ。

バスの運転手とバスの整備工場はそれで食っている。

よって、乗用車で十分間に合うと思われる送迎バスはいつまで経っても大きなバスのまま、たった2・3人の生徒・園児を乗せて有限資源を食いつぶしながら走り回っているのである。

そうやって真綿で包んだように育てられた免疫の乏しい子供たちは、ほとんどすべて都会に出て行って企業に囚われてしまい、村にはもう戻ってこない。

この村は人材派遣の村になっているのだが、村への見返りは何もない。

このままで良い、と思っていない人はいったい村に何人居るだろうか?