テーマに絡むと言えば少し絡むのですが、それよりも別の縁を感じて書いています。

私が仙台に初めて行ったのは独身で気楽なときでした。

毎年9月の後半に休日の多いときがあり、一度北海道に行ってみたいと思っていたんです。

会社は週休2日制でしたから少し年休をいただくと一週間くらい連続の休みが取れたんです。

貧乏でしたが軽自動車を持っていたので極力お金を使わないように布団を積んで出かけたんです。

一人旅ですが元気いっぱいでしたから運転に不安は無く、気の向くままに北海道をあちこち廻ってきたんです。

往路だったと思いますが仙台市内に入り込んで地理不案内になってパトカーに張り付かれたんですよ。当時は静岡に住所があったので車も静岡ナンバーです。

パトカーは遠くのナンバーの怪しい車がうろうろしていると追跡したんでしょう。

私はそのとき荷台に布団と一緒にガソリンも積んでいたんです、広い北海道で燃料切れになるのを恐れて。

それでパトカーに止められると少々困るなと思って慎重に運転をしていたのですがパトカーも暇だったのかなかなか離れてくれません。

何処へ行くとも宛てのない仙台市内で運転を続けていると幸い停止させられることなく離れていってくれました。

それで仙台は油断できない街だなと私の頭にインプットされたんです。

 ずいぶん年月が流れて3.11の10日後です。

会社は昇降機を扱っていて東北支社(仙台)の甚大な被害復旧の為に全国から応援者を派遣しました。

未だ高速道路も関係車両しか通行できないときでした。

東京本社に集まった応援部隊は大型バスで仙台を目指しました、応急修理された高速道は地震の影響で酷くうねっていました、緊急車両に混じって飛ばすんですよ運転手さんが、うねった路面にもかかわらず。たぶん怖かったんですかね?

郡山市や福島市は結構フクイチに直線距離近かったですからね。

アメリカが80キロ圏内の自国民を退避させていたからなんとなく不安だったんです。

福島市の営業所に立ち寄った時は早く出発して欲しいと皆思っていたのは事実です。

仙台に到着し翌日からの復旧作業の打ち合わせに入ったんですが仙台の人達は何事もなかったかのように落ち着いているんです。

あれほど酷い地震と津波を経験し、原発危機をかかえている人とは思えないような落ち着きようです。

翌日入った泉区の商業ビルで、現地のメンテナンス要員が案内をしてくれたのですが、とても酷い壊れようで、聞くと地震のとき其処に居たんだという、私は「死ぬと思いませんでしたか?」すると「はい死ぬんだと思いました」淡々とそう言った。

彼は地震以降事務所に泊まりっぱなしで家がどうなったのは知らないと言う。

支社の高層ビルから海がよく見えるのですが、沿岸の色は変わってしまったそうです、

「あそこに行っても私達には何も出来ることは無いよ」そう言われました。

私達応援部隊は市内のビジネスホテルに泊り、毎日支社から協力会社の人と一緒に各地に復旧作業に向かいました。

支社に歩いて向かう道ですれ違う人が「ご苦労さまです、ここは大丈夫よ」とマスク姿の私達を気遣ってくれました。

協力会社の人も津波で第2原発敷地内に会社の車を乗り捨ててきたままだそうです。

泉区役所のエレベーターを復旧して帰ってきたらすぐに余震でまた停止してしまいました。

遠くの温泉施設で復旧作業をしていると地元の人達に開放された風呂で涙を流す人を見ました。

東北の人はなんて親切でおおらかで辛抱強い人達なんだろうと思いましたね。

非常事態でない平常時もこんなんだろうか?

ガソリンスタンドに並ぶ車の行列が何ブロックも続いていた、中にはカブに乗って冷たい風に吹かれながら大人しく並んでいる人も居た。

窓に一面新聞紙が貼られたコンビニ駐車場でおにぎりを売ってる店員さんに「タバコ無いですよね?」そう聞くと中から出してきてくれて命拾い?をしました。

私達は任務が終われば逃げ帰ることが出来る、でも彼らは逃げ出すことは出来ない、ずっとこれからも壊れた街を直して生きていくしかない。

それを思うと何か熱いものが込み上げてきたのです。

それでも結構余興も楽しんだんですよ。

仙台は市営都市ガスとプロパンガスが混在していて支社のある繁華街の一角にプロパンガスエリアが残っていたんです。

市営ガスは止まったままでホテルもお湯の出ないところが多かったのです。

私は幸いお湯の出るホテルに当たり恵まれていました、食事もプロパンガスエリアで温かいものが食べられました。

支社の一角に全国からの支援物資が山と積まれていましたが食べようとは思いませんでした。

仕事が終わるとアーケード街の何とか横町で飲んで地元の人達との交流もできました。

少しだけ「ここにずっと居てもいいかな」そう思えてきたのも事実なんです。

やがて任務を解かれて名古屋に帰ってきたんですが、生きるか死ぬかの切迫感は無いにもかかわらず生きるか死ぬかの忙しい状況に又戻ってしまったんです。

数年経って私は東北のリアス式沿岸地を釜石から仙台までレンタカーで走って見てきたのですが、思うところは多々ありましたね、別の日記に書いたと思います。

仙台駅に着くと・・・名古屋と変わらないじゃん。

つまんないの。ハハハ。