私たちの子供の頃は「お年寄りを敬いましょう」という教育が行われていてその気持ちは自分が老人域になった今でも持っているのです。
したがって自分より年上の老人にはそのように接しているつもりなのですが、自分が年下の人に敬われている存在なのかと考えると、そうでも無いように感じております。
断っておきますが私はやみくもに敬われたいと思っている訳では有りませんよ。
それは多分に年齢構成の変化によるものだと考えます。
私たちの子供の頃は社会の年齢構成は自然界に則った正統ピラミッド様式で有り、多数の年下世代が年上世代を支えてまだ余力が有ったような状態でした。
今は全く違ってきて年齢構成は逆ピラミッド様式に模様替えされる過渡期となっています。
年下世代は余力どころか自分自身が生きていくことも怪しくなってきたのですから当然でしょう、年寄りを構っているような暇はない。
そこにどのような社会的意識変革が生まれてくるかというと、年上世代が逆に年下世代を敬う(気遣う)気持ちになってくるのです。
そしてこの国家の一大意識変革は逆ピラミッドへの移行が先行している地方の過疎地に顕著に表れることになります。中でも高齢化率を誇って?いる私の住んでいる村ではもう変革時期は終わって安定期に成りつつ有るのです。
前にチョット触れたタケノコ事件に見るような、過度な"子供は宝"意識が定着してしまったのです。
私の通っているトレーニングルームは町が高齢者の多い町民の健康維持のため設けてくれたありがたい施設です(資金の出所について少々思うところがあって追々と書くと思います)。
ところが最近は利用者が増えてきて少し手狭に感じるようになってきているのです。
手狭ゆえ利用者間でのトラブルも出始めています(当事者として巻き込まれたので又追々と書きます)。
トレーニングルームの一角に今まで一度も使われたことのない部屋が設けられていて、トレーニングスペースを狭くしてしまっているのですがその理由についてのみ今日は書きます。
設計図書にはその部屋が「キッズルーム」となっています。
設計会社が勝手に描く訳はありませんから誰かの指示で書いたのです。
そして工務店は図面通り部屋を作ってしまい、その後一度も使われることなく管理人が掃除するだけの無駄なスペースになってしまったのです。
その誰か?とは町当局であるのは確かですが、町がキッズルームを設けようと決めた理由は町民の多数意見によると考えられます。
高齢者の健康維持を主目的とする施設に子供部屋を設ける不自然さがこの町には有るのです。今となっては町は子育て世代の利用促進を狙ったものだったと言い訳をしています。
子は宝です、この町ではその価値は最近の金相場のように高騰して定着してしまいました。
大多数の高齢者は年下世代を敬って(気遣って)自分の余力で若年世代を支えているのです。
それは盲目的とも思える子供優遇の共通意識となり町に蔓延したのです。
それが本当に子供達の役に立っているか?将来に悪影響を与えていないか?
全校生徒が32人になってしまった立派な中学校やバス送迎付きの小学校を作ったのはそれほど昔のことではありません、将来を予測するのは簡単だったはずなのに。
つい最近もトレーニングルームが有る敷地内に幼児の遊具が設置され、いつも寂しく雨に晒されています。
そろそろ考え直しても良い時期にきているように私は思うのです(とっくの昔に考えるべきだったとも)。
どれだけ子供優遇策を繰り出したところで子供が増えることは有りませんよ。
数少なくなった子供達を猫可愛がりするよりも、逞しく育ててあげましょうよ。
せっかくの自然環境に恵まれた村なんですから不自然な干渉をせずに野に放ってやりましょうよ。
老人とは弱い立場の人だから敬われ優しくされてきたんですよ。
自分からより弱い立場になっていくようなベクトルは方向修正しませんか。
もっと自分自身をいたわることに熱心になる方が自然なように私は思うのですが。