私がこの日記を書いているのは妻のノートパソコンです。

妻はパソコンを使い始めたのは早く、最初は卓上型を使っていたと思います。

仕事上の必要があったようです。

私はインターネットとかに否定的なところがあって(変わり者ですから)、家でパソコンを使うことは有りませんでした。もう大昔のことですが。

このノートパソコンを妻が買ったとき私も一緒にお供をした覚えがあります。

その頃の妻はまだ自分はパーキンソン病だと思い込んでいました。

医者がそう言っていましたから。

私は軽い脳梗塞なのではないか?リハビリで回復出来るのではないかと思っていました。

パーキンソン病は死の病ではありませんが治らない難病です。

私は妻が治らない難病にかかっているとは認めたくなくてそう思っていたのです。

それまで私達夫婦は順風満帆とは言わないまでも、大きな困難をかかえたことはなかったのです。

 妻は福岡にパーキンソン専門プログラムが有る病院を見つけて出かけていきました。

そのときの妻はとても楽しかったようです、妻と私は毎日メールで面白おかしくやりとりをしていたものです。

そのやりとりは今もこのパソコンに残っています。

でも、妻の運命も私の思いも、悪い方向に裏切られてしまいました。

死の病だと宣告を受けた後も妻はこのパソコンを放さず、度々利用していたショートステイ先や最期を迎えた特養にも持って行ったのです。

パソコンを買ったときに妻は最新のタッチパネル式にしました、たぶんおそらく、妻はキーボードが打てなくなることを予感していたのでしょう。

その予感は現実になってしまい、妻の意思表示は私自作の"スイーツ"が別枠で書かれた文字盤から透明な文字盤へと変遷していったのです。

 このパソコンには私とのメール履歴や妻が書いたいくつかの文章がまだ残っています。

わたしはそれをじっくりと読む勇気は、まだ有りません。

でも、ときどき断片的に読むことがあり、そのときの気持ちは・・察していただきたいと思うのです。

妻の形見であるこのパソコンがこの先いつまで壊れずに動いてくれるのか分かりません、

残された私と妻との唯一のつながりの手段なのですが。