10年以上前に書いた日記を引きずり出して読んでいる。
タイトルは「親父の茶」
美味しいお茶作りに人生を捧げた叔父に敬意を込め、
その息子である従兄弟の太陽光発電所について書いたのを思い出す。
私はあの頃の太陽光発電には全面的に賛成の立場でした。
それは今も変わりありません。
従兄弟がこの田舎でまっ先に太陽光発電を始めて、
当時サラリーマンだった私は農家の事情など何も知らなかったが、
従兄弟から聞いたその物語を日記に書いた覚えがあります。
うろ覚えだった知識はそのままですが、久しぶりに従兄弟に会ってこんな話をした。
「そろそろFIT法による買い取り期間が終わるのではないかい?」
すると従兄弟は言った。
「まだまだ残っている」
そうか20年も有ったのかいな、1kwh40数円での買い取り期間が。
お天道様が稼いでくれる状態はこの先も続いていくんだね。
「まだまだ地球を救う一助になっていくよ」
先見の明だったということだろう、従兄弟は聡明な人物だから。
良く維持管理された太陽光発電所は今も順調に稼働して何の問題も抱えず地球を守っている。
その従兄弟に続いたという訳でも無いだろうが、この田舎には太陽光パネルが林立した。
日記に書いたように田舎には持て余している土地が一杯ある。
そして現在そこに不思議な現象が現れてきた。
太陽光パネルは相変わらず今も増殖している。
しかし、太陽光発電を行っているんだという気配が感じられない。
出来たばかりの太陽光発電所が草ボーボーのまま管理されず放置されている。
これはいったいどういうことなのか?
すると、本当かどうかまだ検証していないが、次ような事を教えてもらった。
太陽光発電屋というのが居る。
土地を持て余した農家から二束三文で土地を買う。
しかるべき所に申請して太陽光発電所を設置しますと、補助金をせしめる。
作ってしまえば後は野となれ山となれ、発電なんてどうでも良い。
作るのが目的でその後の発電には熱心でない。
つまり、作っただけで利益が確保出来る補助金制度に変容してしまったらしい。
何故でしょう?
薄々気がついてきましたね。
制度の変容には何かがからんでいるのでしょう。
FIT制度が出来たのは3.11が起こって直ぐ、日本が危機感を持ったときです。
原発を無くして自然エネルギーにシフトしなければ日本は生き延びれないと。
しかしその後、忖度されるのが好きな”彼”に政治は引き継がれていきます。
最近になって原発屋も息を吹き返しました。
そういうことだと私は思いますよ。
良い制度もねじ曲げられていくんですよ。
今では国民が省エネ賦課金(再生可能エネルギー発電促進賦課金)を払わされるのは従兄弟のような者がいる為だとか、
寿命を迎えた太陽光パネルが社会にはマイナスの作用をするとか、
そんな、出鱈目な風潮が蔓延してしまいました。
誰かが情報操作をすると国民は騙されてしまうんですね。
何が正しいのかを見失ってしまうのです。
利権ばかりを見ているとこんな社会になってしまいます。
親父の茶
梅雨にしては雨が少なくて農家の人は困っておるのですが、
人ごとなのでしょうか、余り世間は騒ぎませんね。
友人が太陽光発電を始めたので見学しつつ参院選?を肴に飲んできました。
日照少なく太陽光発電には不利な山間地ですが、そんな山間の限界集落にも訳有って太陽光発電が増えてきました。
彼の父親は数年前から寝たきりになっています。
父親が元気なとき作っていた茶畑が家の前にあります。
4、5アール程度と広くはない、お茶作りを生業とするには狭すぎる茶畑です。
しかし、其処に投入されてきた彼の父親のエネルギーは計り知れないものがありました。
どれほどの情熱であったかは毎年新茶を頂いていた私は知っています。
氏の手で育てられ、摘まれ、蒸され、揉まれした心のこもった上質のお茶でした、
急須の湯の中に開いてきた茶葉は葉脈が見えるほど損傷なく見事に元の形に戻ります。
芳醇な液体に抽出され浮き上がった茶葉に目をやると、驚くべきことを知るのです。
一葉一葉に氏が書いた銘が表われるのです・・ふふ。
ま~、それ程までに手間隙かけたお茶であったと言いたい訳です。
氏の作る手揉み茶は地域で高い評価を得ていました。
息子の彼にはその情熱が遺伝しなかったようです。
お茶作りはどうあがいても父親のように出来る自信は有りませんでした。
かといって、茶畑を無くしてしまう決断も出来ずにいました。
最近、そんな持て余していた茶畑に新風が吹いてきました。
30kw出力の太陽光発電所に変貌したのです。
業者おまかせで事は進行して既に稼働中。
登記の仕事を生業にする彼は農地転用では当局と少々揉めたそうです、
彼曰く太陽光発電とはお天道さまからの恵みであり電気は農作物だ、これは畑なのだと主張するも、
役人の頭は誤った概念に支配されたままで残念であったそうです。
資金の1300万円は借金です、
ところが10年もすると初期投資は回収され、後はお天道さまが有る限り収穫が続くそうです。
下衆の勘ぐりで金銭面から逆算していくと、1300万÷10年÷365≒3600円/日、
売価40円/kwhとして90kwh/日、フル出力30kwなら3時間/日で、平均出力なら3.75kw(出力率12.5%)てところ。
5アール500㎡として、30kw÷500=フル出力時60w/㎡、常用平均出力は7.5w/㎡。
専門家は地域の日照率統計や地形的要素、装置の効率、売電価格変動予想、契約相手の浪費癖など正確に計るのだが、
”おおよそそんなもんだろう”の予感はする。
運転に係るランニング経費は?と良く有る心配事を聞くと、何も無いそうです、はは、まったく無い。
業者は設置需要に対応するだけで精一杯、その先の悪業までは目が向かないようです。
住宅用のやつも既に過去から運用中とのことで、私は浦島太郎状態を自覚する。
パネルは日本製のが高性能で高価、外国製品は少し劣るが廉価、彼のは台湾製。
パワーコンディショナーと呼ばれる変換装置は日本製、10年で交換を推奨されたがもちろん不要でそのつもりはない。
日照りの日にはパネルに水やりをすると洗浄冷却効果で発電量は上がるそうです。
夜は家のコンセントから安価な電気を引き投光器で照らしてやると高価な売電に化けて戻っていくという電照菊栽培の擬似種。
電力会社との契約で手間いらずに生産は続いています。
彼はときどき口座のチェックをするだけで良いそうです。
小遣いが減ってるときは検針人に自家野菜を渡すだけで回復します。
彼は儲けるのが目的ではなく、茶畑の扱いに困って業者の話に乗ったのが真相です。
回復する見込みが無い彼の父親が生きがいであった茶畑を見ることが出来るようにと、
寝室から見える二畝だけは茶株が残してありました。
将来父親の遺伝子が自分の中で発芽した場合に備え、発電パネルの下には元の土壌も残して有るそうです。
さて
情熱エネルギーと太陽光エネルギーの比較をしてみましょう。
経済で計ると太陽光エネルギーの価値が高そうに錯覚します。
過去から「グリーン電力制度」なるものもありました。
「高くても私は自然エネルギーの電気を買う契約をするわ」
そんな人も居ました、国も電力会社も後ろを向いてた頃から。
しかし
日本で自然エネルギーの株が上昇したのは最近です。
消費者が払う単価より電力生産者が売る単価を高く設定するエネルギー誘導施策。
ドイツのように早くからやっていればF1の悲劇も無かったのかも知れない。
限界集落で茶畑の脅迫に怯えていた人は大勢いたのですよ。
しかしやっと地産地消のおいしい太陽光エネルギーが採れるようになって素晴らしいことです。
さて、彼の父親の情熱エネルギーを計りましょう。
お茶だけでも無かったのですが晩年は殆どお茶にのめり込んだようです。
昼も夜も茶畑と同化していました。
成人男子の消費カロリー3000kcal/日の全量が茶畑に投入されたと仮定します。
次表に代入
http://variousdiary.blogspot.jp/2013/02/kwkcalh.html
3000kcal/日≒3.5kwh
太陽光発電の90kwh/日との比較は情熱26人分です。
いやはや、
もしも情熱茶畑と太陽光発電所が同等価値とすれば父親は26人分もの仕事をしていた訳です。
えっ、おかしいって、そう?
価値はお金ではないと思いますね、おいしいお茶こそが価値というモンでしょう。
適温で抽出された山吹色に輝くほんのり甘いお茶を口に含むと、
体中から有害なものや邪念が消えていくような気分になります。
お茶に健康効果があると確信して近頃良く飲んでいます。
適度な甘みと渋みはとっても体の為になるような実感です。
日本人の私達にとってお茶は無くてはならないものなんですね。
農家では、
田んぼを持て余して果樹園にして、
果樹園の博打性に懲り、
幸い首は吊らずに最後は茶畑に、
そんな変遷の結果、
周りを潤し続けて自身は細る、
それでもまだお茶が一番ましだよと、
日本人に賭けたいのが現実なのです。
我が家では、
日課の猫の遊び相手をした後に、
気まぐれで出てくる茶色い熱湯、
100℃を優に超えてる危ない液体、
香りも味も完全霧散したお茶のようなものを、
傍であくびをしてる猫の口に入れてやりたいと思う毎日です。
少しお湿りがあったようです。
節々が痛む辛い季節ですかな?
ぢゃっ。