先日の飛騨地方への山菜採り行からの展開を書きます。

主題の言葉を知っていますか?

明治時代に実際に有った悲しい歴史の記録です。

その頃の日本は生糸の生産が重要且つ得意な産業でした、今の自動車みたいなもんですかね。

繊細な日本女性の手が紡ぐ生糸は日本の発展の礎になったのです。

飛騨地方の貧しい農家の娘達は口減らしも兼ねて信州の製糸工場へ出稼ぎに出され、

雪の野麦峠を歩いて行き来していたそうです。

彼女たちが歩いた雪の上には赤い血の筋が出来たと言われています。

工場で劣悪な労働環境に置かれた工女達は様々な辛い体験をしました。

(能力次第で良い待遇を受けた者も居り、辛さばかりを強調されるのは不本意であるとする資本家子孫の意見もあります)

それを描いた山元茂実のノンフィクション小説のタイトルが主題のものです。

「あゝ野麦峠」という同名の映画も制作されており私も若い頃に観て泣きました・・ほんとやで。

特に象徴的な出来事として今も語り続けられているのが政井みねさんの悲劇です。

みねさんは病身となり、迎えに来た兄に背負われ家に帰る途中の野麦峠で息を引き取りました。

「あゝ、飛騨がみえる・・・」そう言って息絶えてしまったそうです。

私は映画を観て強く印象に残ったことが有ります。

亡くなったみねさんよりも、妹の亡骸を背負って何日も歩いて帰ってきた兄の辰次郎さんの心情を想うと可哀想でなりませんでした。

映画ではみねさん役は大竹しのぶ、辰次郎さん役は地井武男でした。

地井さんの朴訥な名演技が涙を誘いました(大竹しのぶさんは当時大根でした、今もか?)

かなりヒットした映画だったので山菜採りに同行した友も詳しく覚えており、

通りがかった地名に覚えが有って「このあたりに政井みねの墓が有るはずだ」と。

そして探し当てたお寺でみねさんの墓石を見つけ拝ませてもらいました。

兄の辰次郎さんによって建てられた墓石の傍に、同じく辰次郎さんが建てた親鸞聖人像が立っている。

辰次郎さんは妹が死んだ後、妹の供養を続けるために人が変わったように一生懸命に働いたそうです。

さらに境内には真新しい銅像「政井みね之像」が立っているではないか。

丁度一年前にこの銅像は建てられている。

 

 
ご住職が出てきて教えてくれました。
19代目だと自己紹介してくれました。
そんな歴史有る立派なお寺に似合わぬ気さくな和尚さんです。
「政井みねさんを偲んで」という小冊子を3人共にいただきました。
みねさんの生家の場所やこの地の風土や歴史についても教えていただきました。
金鉱の話をしてくれたとき私達の目が一斉に光ったのを気付かれてしまったでしょうか。
それについては又後日展開できるかも知れません。
この銅像を寄進した人物についても話してくれました。
「東京の方で元レーサーなんですよ」と。
ランボルギーニに乗って来られて一千万円を寄進してくれたんだと。
えっ、何者なの?
調べてみたらなんとなく納得できてしまいました。
政井みねさんや同様の境遇の少女達とは対極にありそうな人物です。
私達は貧乏な楽天家ですが、持てるが故に厭世家になってしまう人も世間には居るものなんですね。
世に善行を残したくて巡礼をしているんでしょうか。
私欲に囚われてしまった人達には見習ってほしいものです。
ちなみに住職さんは私達暇人トリオより一つ年下でした。
私が辰次郎さんへの想いを語ると住職も同じ想いでした。
波長の合った何かホッとする一時が過ごせました。
ご親切に対応していただき有難うございました。
あっ、書き忘れるところでした。
実は政井みねさんはとても美人だったんですよ。
失礼ながら大竹しのぶさんではミスキャストだったと言わざるを得ません。