少し前のこと。
私達の村から山二つ越えたところに同じような山村がある。
その村に縁のある友人がこう言った。
あの村の人は山菜なんか見向きもしないんだよ。
タラの芽やイタドリなんか食べないみたいだよ、と。
イタドリは食べなくてもタラの芽は全国区の山菜だから食べない所はないだろう。
私はその話を他の知り合いにも話してみたが大方が同じような意見だった。
そしてその見解をまた友人に返したところえらく憤慨した。
彼は嘘を言えない人間なので自分が嘘を言ってると誤解されたくないみたいだった。
そして、一緒にその村に行って村人に話を聴いてみろと言う。
私は忙しい?スケジュールを調整して友人の運転する車でその村へ調査に行った。
畑で農作業をしている人を発見するとその畑の横にタラノキが有る。
タラの芽は摘まれずに付いている。
「あの~、あっちの村から来た者ですが、この村の人はタラの芽は食べないのですか?」
『食べないことはないよ』
「では其処にあるタラの芽を何故採らないのですか」
『その木はそこの家のもので何年も空き家になっているんだ、人のものを盗るわけにはいかんよ』
見ると良く手入れされた家だが確かに空き家のにおいがする。
庭にタラノキが有るくらいタラの芽の濃度が濃い村であるようだ。
『昔は60軒くらいの集落でこの先に小学校もあったよ、今は空き家の方が多くなったね』
その方は話してくれた。
『昔はタラの芽も良く食べたけれど、今はいろんな物が有るから好んで食べる人もいなくなったね』
見渡すとタラノキがそこいら中に生えていてタラの芽は採られずに付いていた。
「私達の村ではタラの芽は珍しく貴重な旬の味覚なんですよ」
『昔からいっぱい有ったから珍しくもなんでもないよ』
そういう訳だったのか、友人が言ったことは間違ってはいなかった。
「イタドリは食べませんか?」
『食べないことはないけどね』
同じことだ、ありふれていて見向きもされないだけなんだ。
私はその方と近くに立っている無傷のタラノキのツーショット写真を撮った。
そして帰り道にタラの芽とイタドリを少しだけ採ってきた。
そのとき次の山菜採りに行く計画が友人の口から出た。
飛騨の山奥の奥の奥である。
20年以上前に連れて行かれ此処と同様に山菜天国だと知っている。
遠い、片道4時間はかかる。
私はとても運転する自信が無いし友人も1人では無理だという。
もう1人誘い込むことにする。
20年以上前に行ったときと同じメンバーが揃った。
あのとき私は山菜採りよりアマゴ釣りが目的だったが帰りの車内は山菜で埋まっていたのを覚えている。
今はまだ雪が残っているからもう少し先の話になる。