前回講座で紹介した、
中部電力芦浜原発と住民との37年に及ぶ長い戦いの記録、
その戦いが終わった2000年2月以降からについて述べたい。
あくまでも私の推測であり全て正しいとは限らない。
中部電力の芦浜原発断念は北川知事による芦浜原発白紙発言が後押ししたのは確かであるが、
私は2000年頃にはすでに電力会社は原発から引けていたのではないかと考える。
国策に沿って原発を推し進めてはきたが経営への優位性は見えずリスクだけが残っていた。
LNGや石炭という安価で御しやすい燃料による発電が主流となってきており、揚水発電所等の隠された原発コストを勘案するとすでに原発はリスクの大きい厄介者でしかなかった。
浜岡原発だけは実現させたが中部電力の原発比率は他社より低く、それでも経営に遜色は無かった。
国に引っ張られてきた原発とはいったい何なんだ、そう考えて当然だ。
やめるチャンスを伺っていたと。
そう思わせる2000年2月の知事発言に即答する形の中部電力芦浜断念発表だった。
その後、他の電力会社も含めそんな原発に対するスタンスは継続していったと考えられる。
そして2011年3月。大地震によって原発のリスクは現実のものになり東電は倒れた。
日本の原発は全て停止した。
真っ先に政府が止めたのは中部電力浜岡原発である、それでも経営に支障は無かった。
原発はもう葬り去られた遺物だと誰しもが思っていた。
今日はここまで。