お隣の集落のゆで普請での休憩時間。
道ばたに座り込んで話をしていた。
警察官だったYさんはこの村に娘婿としてやってきてもうずいぶん経つ。
奥さんは上品な元教師で農作業など一切やらない人である。
Yさんの家は田んぼが多い。
そのYさんが百姓をやっていない私に気を許したのかしみじみと言う。
「またいやな季節がやってきたなあ」
ええ、草刈りのこと・・ですよね?
「農作業が始まるのが嫌なんさ」
働き者だと思っていたYさんの意外な言葉。
「いやなもんはいつまで経ってもいややなあ」
ありゃりゃ、これは本心だわ。
去年痛そうに足を引きずって作業していたのを知っていた。
ひょっとして百姓をやらない私のことが良く見えてしまったか。
え~ん(T_T)、そんな弱音を吐かないでくださいよ。
そうは言ってみても状況は極めて悲観的である。
この数年で米作りから離脱していった高齢者は多い。
Yさんはまだ若手の方で、この先何年も農作業を続けなければならない。
毎年繰り返されるいやな農作業がこの人の心に負荷をかけているようだ。
分かる気がする。
私には百姓をやらない選択肢があったけれど、この人にはなかったのだろう。
いったい何のために農作業をやっているんだろう。
米にしろ野菜にしろ掛けた労力に見合うものなど得られない。
先祖から引き継いだ土地だから仕方なく、という諦めの境地にも婿の立場が障壁になってなれない。
妻はやめておけと言ってくれるが、やめて遊んでいるような生活は自分には出来ない。
作った米や野菜を子や孫に食べさせるのが喜びだという、地元の人に良くある盲目的思考もこの人には無い。
何か良い展開が訪れないものだろうか?
このまま周りの高齢者と同じ道を歩んでいくとすれば気の毒すぎる。