川や海はいったい誰のものなのか?

現在では地べたについては必ずそこに所有者が設定されており、国有地、県有地、市町村有地や個人・法人等、誰の所有でも無い土地を探そうとしてもたぶん徒労に終わるだろう。

田舎では土地の交換が頻繁に行なわれるのが常で、「息子夫婦が家を建てると言うんで、すまんけどあんたんとこの道沿いの空き地に建てさせて、代わりにこっちの畑やるわ」

こんなふうに過去から土地交換は延々と繰り返されてきたので登記上の所有者と実際とが異なることも多いが、それはそれで約束(契約書が有ったり口約束だったり)で成り立っている。

かように地べたとその上空地下は誰かの所有物になっており、それはもうはっきりしている。

古くは中国大陸や北海道の開拓においては荒野を切り開けば自分の土地になったそうだが、それは厳密に言うともっと過去からその土地が帰属していた国家や部族はあったはずだ、しかし戦争や政治が絡んでいいかげんに落ち着いたのだろう。

さて、その地べたに雨が落ちて川になり海になる。

自分の土地に落ちた雨は自分のものであろうから広大な土地を所有すれば水資源も所有出来ることになる。

自分の土地から出ていった水は他の水と混ざり合いもう誰のものか分からなくなる。

そうやって誰のものか分からなくなったたくさんの水が集まって川になり海になる。

厳密にはその川や海の水の一部は自分のものだと主張出来ると思われるが、分子レベルで混ざり合っているから分離するのは無理だろう。

逆にいうと無数の所有者の水が混ざり合ったのが川で有り海であるから、誰しもが一定の所有権を有する公共のものとも言える。

この考え方は正しい。

したがって川の水を汲んできてメダカを飼っても海の水を汲んできて塩を作っても誰も文句は言わないし、流れる川の水を利用して川下りを楽しんでも、波立つ海の水を利用してサーフィンをやっても誰も文句は言わない。

それが当たり前のことなのだけど、利益が絡むとその利害関係者から苦情が出る場合が有る。

川の淡水生物や海洋生物は主にその地の漁業者にとって生きる為の糧となっている。

それは漁業権という明確な権利となって保護されており侵害すると罰せられる。

漁業者は漁業組合を組織してその組合員の利益を図っている。

漁協はダム建設や原発を止めるような強大な力を持っている。

それが時として川や海が自分たちのものであると勘違いをするようである。

 

太郎、「漁協で尋ねてきた」

花子、「腹を引っ込める方法?」

太郎、「アユ釣り遊漁者とゴムボート愛好者の関係式について」

花子、「アユ釣り客は田舎の最大の収入源でしょ」

太郎、「それは分かっている」

花子、「あんたもやったら?友釣り、今年は未だ食べてないわ~」

太郎、「友釣りの竿は10mも有るんだ、値段は\数十万もするらしい」

花子、「知ってるわよお大尽の遊びよ、あんたもコロナで儲けた非国民でしょ」

太郎、「いや、10mの竿長に問題が発生している」

花子、「確かに長いわね、人が操るものとしては」

太郎、「その先っぽから目に見えないほど細い糸がまた10m伸びる」

花子、「それがどうかしたの?」

太郎、「10m+10mつまり、半径20mが友釣りの範囲になる、これはもう一集落とも言えるほどの面積だよ」

花子、「確かにすごいわね」

太郎、「そんな集落が川にいっぱい出来る訳だよ」

花子、「賑やかね」

太郎、「それで漁協に聞いてみた」

花子、「住民票移さなくても良いのかって?」

太郎、「他の入川者とのルールは有るのか?って」

花子、「そりゃあ有るでしょ、無けりゃトラブル間違いなしだわ」

太郎、「無い!って、塩焼き食いながら言った」

花子、「本場のアユの塩焼きね」

太郎、「迂回してくれっ!とも言った、爪楊枝シー・シーしながら」

花子、「アユは毎日でも食べられるわ私」

太郎、「迂回してたら川下りでなく沢歩きだわ!」

花子、「ゴロタ石の上を延々と歩けば腹引っ込むわよ」

太郎、「川はみんなのものだよ、と説教しようとしたらもう居眠り始めよった」

花子、「しょうがないわね、何時までなのよ?友釣りは」

太郎、「9月末」

花子、「寒む~」

 

 

 

 

 

 

 

花器                   銘:しぼむ

Kenichi Museum