オヤジの思考はあることに集中していた。

先代から下町の町工場を引き継いで30年になる。

従業員は妻が一人。

後継者は居ない。

息子と娘は遠く離れた外国から盆と正月にメールをよこすだけだ。

オヤジの思考は「10万円は誰がいつ持ってきてくれるのだろう?」、では無い。

ある研究に没頭していた。

オヤジの工場には唯一の財産といえる物があった。

超高精度のブロックゲージである。

長さの基準になるブロックゲージはその精度によって値段が異なる。

一つ精度が上がると値段は10倍に跳ね上がる。

オヤジのブロックゲージは最高精度の物だから酒をやめタバコも安物に替えて手に入れた。

恒温槽のパラフィンに包まれてブロックゲージは眠っている。

このゲージの高精度が使えるのは一回きりだ。

パラフィンを拭き取った瞬間からゲージの表面は曇り始め2級品に落ちていく。

オヤジは次の作品でこのゲージを使うつもりだ。

最後の作品になるかも知れない。

何処の誰にも負けない作品に仕上げる自信はある。

それにはまずウイルスの研究が必要だった。

ゲージの表面に付着するウイルスを防がなければならない。

微細なウイルス一個がゲージの精度を落としてしまうのだ。

敵の攻撃を防ぐには敵の特性を知らなければならない。

その研究が昨日終わった。

終盤になって新型ウイルスが現れて焦ったがこれも何とか駆除できる目処は立った。

今日から新しい作品の発注を待っているが今のところまだ無い。

 

アメリカの製薬企業が新型コロナウイルスの特効薬を完成させた。

巨費を投じた研究開発によってこの企業は巨大な利益を得られる目処が立った。

町工場のオヤジは同様の結果を出したが生活の目処が立たない。

「10万円早く持ってきてくれんかの~」と思っている。

 

今日はもう4月か~。