現在進行形

妻はもともと遺骨は海に散骨してと言っていたが、私の立場を汲んでくれて田舎の墓にも分骨することとなった。

田舎のお寺に法要のお願いに行かねばならない、改めてお願いに行くのは葬儀のときのお寺と異なるからだ。

私は以前田舎のお寺に妻のことを話し、遠方の葬儀でも来ていただけると了解を得ていたが正月2日のことでもあって急遽居住地のお寺に葬儀法要をお願いした。

別の坊主が与えた戒名を含めてその後を引き継いで貰うことになる訳だから田舎のお寺は決して良い気分ではないだろう。

下世話なはなしだがその分お布施も膨らむことになる。

妻の葬儀を終えて正直な感想を述べさせたもらうと、家族葬であったにも関わらず費用は思っていたより掛かった。

葬儀場はとても儲かる商売なのだ、葬儀場の数の多さには必然がある訳だ。

墓仕舞いとかを近頃よく聞くがお寺も存続の苦しいところが多いそうだ。

葬儀場に回る費用をお寺に回してあげると良いのだろうけど、誰しもイザというときには便利を選んでしまう。

私もやはり今まで、教育・医療・介護・葬儀など、それら”営利産業”に踊らされてしまった訳だ。