次なるドキュメント

2016/05~07月

 この頃の妻は病状が急速に進み車椅子の生活となっていた。

最初は電動車椅子を使用していた。

妻は通院やショッピングに一人で行けると考えていたが障壁はいたるところにあった。

まずマンションのエレベーターに乗りこめない、扉が直ぐに閉まってきてしまうからだ。

これはマンション理事会の承認を得て時間を長くしてもらった。

エレベーターで地上階に降り自動ドアを抜け、エントランスホールに出るまでは良い。

エントランスホールから外部に出るドアーが手動式で重く、誰かが気付いて開けてくれるまで出られない。

さすがに開けっぱなしにしてくれとも言えず、主に管理人氏のお世話になった。

外に出てからが最難関の歩道走行となる。

この街の歩道は車の乗り入れ優先の傾斜が付けられデコボコで介助者なしで車椅子が通ることなど想定されていないようだ。

電柱が真中に立っている箇所もある。

 横道潜入、

電力会社や電話会社が敷地境界付近に電柱を立てる場合、私有地側を選ぶか公道側を選ぶかは明確にされていない。

私有地側に立てた場合は敷地料という名目で土地所有者に借地料を支払う、地目によって敷地料は異なり山林∠宅地∠畑∠田んぼの順番で、田んぼが一番金額が高い。

地価が考慮されないのは不思議であるが農作物への影響を一番に重視しているとのことである。

確かに、田んぼの中に電柱が一本有るときの邪魔さ加減はきわまりないだろう。

 さて、誰の作為か歩道の真ん中に電柱が立っているので人は避けて通れるが車椅子は通れない。

整備された迂廻路を通れば目的地に行けないことはないが大周りになってしまう。

妻は躊躇なく積極的行動をとる。

市役所に歩道整備必要性の意見書を送った。

市役所の対応は親切であった。

妻の行動範囲は4つの町内に及ぶため各々の自治会長名で嘆願書を上げるよう草案も練ってくれ取り次いでもくれた。

しかし急激な病状進行により一人での外出は困難となり、妻の要望が実ったとしても自身が受益することには成らなかった。

 外出には介助者が必要になった妻は介護保険ではなく市の地域生活支援事業である移動支援サービスを要請するが、これは少々揉めた。

利用できる障害レベルが自治体によって基準がまちまちで公平な運用がされていないようなのだ。

このような不公平に黙っていられないのが妻だ。

当時の妻と担当部署のやりとりを読み返してみると、

「全然納得できない。再度問題提起します。県や国に尋ねてみるつもりです。戦いには意欲が出ます。病気の進行を遅らせる効果も有るみたいです」と述べている。

結果、妻は移動支援サービスを受けられるようになり車椅子を押してもらっては良く外出していた。

 私はそんな妻を頼もしく思いもしたが、やはり日々目に見えて悪化してくる病状を恐れおののいていたのである。

私の退職の決意は変わる訳も無く、近づいてくるその時への残り時間がカウントダウンし始めていた。

退職後の妻の介護について、心の中では自信が無かった。

フクロウやカメの幻覚が見えて現実と夢の区別もつかなくなってきたのはアルコールのせいではない。

”心が折れてしまう確率は五分五分”であると、冷静に怯えていた。