次なるドキュメント

2015/04/27

パーキンソン専門のリハビリに行っていた妻が福岡の病院より戻る。

妻は教えられた通りのリハビリプログラムを自宅で一生懸命実践していた。

しかし妻も私も、この頃にはパーキンソン病ではないように思い始めた。

パーキンソン病は一般に薬が良く効くのだ。

ドパミン投与で動かなかった体が動くようになる。

妻にはその効果が見られない。

何か異なる病気だと思えるのだが、医者に解らぬことが私たちに解るはずがない。

月1度通っていたN市の大病院への通院も電車で立っておれず難しくなってきた。

翌年定年を控えた私は定年後の身の振り方に自由度が無くなりつつあることを悟った。

多くの同僚たちは延長雇用に応じていくが私は自分の意思を決めかねていた。

 丁度この頃だったろうか、もう少し前であったろうか?。

私の尊敬する先輩のKさんは、お人好しにもそれ以上のレベルは無いと思えるお人好しで、

時には噛みついてやりたいような不変の人格者DNAが仏様のような人であった。

そのKさんに対して会社は当然延長雇用に応じて貰えるものと嘱望されていた。

ところがKさんはそれを断ってスッパリ辞めていった。

「業務が過酷でやっていけない」と。

私は賢明な判断だと拍手をした。

ところが、ところが、

1年以上の時を経て、舞い戻ってきて元の机に座っていたのだ。

「やる仕事の無いのは辛いものだよ」

懲りたはずの激務の職場も、枯れた毎日よりましだと言うのだ。

そんなものかも知れない。

私は耐えられるのだろうか。