次なるドキュメント
2014年5月
妻は退職後、近くのスポーツジムでウォーキングマシンでの運動を開始した。
妻は得体の知れぬ体の不調と向かい合っていた。
不安は有れど職を辞めた気軽さも有り、自由も感じていたようだ。
家事は包丁や箸が使い難くなり、トングなど使って工夫していたようだが、
私は外食ばかりだったので家の食卓の実態を知らない。
私の仕事は変わらずタイトなままであったが、内心は仕事が第一では無くなった。
仕事への情熱が喪失してしまったのだろう、もう難解な仕事が来ないことを望んだ。
厄介な仕事には丁寧な方法を嫌い、アルコールの助けで雑把に済ませてしまった。
煮詰まって気晴らしに出た錦のコンビニで缶ビールをはしごしているところを、何度も女子事務員に見られていたから、
父親が依存症に苦しんだ末に亡くなったy女史から「きっとあなたも父のように早く亡くなると思うわ」と言われて、
仕事をミスッた事の無い彼女の忠告だからその通りかもしれないと思いながらも、
更にアルコール頼りにならざるを得なかった訳は私自身分からなかった。