3・11後7年経ち、
現在の電力事情は小掠さんが現実に実行して見せ思い描いたようになりました。
貢献した人々を挙げると、
何より節電を真摯に捉え実行した多くの国民。
青色発光ダイオードを実用化に導いた人々。
遊休農地を持て余し困り果てていた弱き農家。
逆ベクトルで邪魔をしたのは、
祖父の亡霊に憑かれた総裁(北朝の坊やに似てる)率いる現政権。
嫌なことを嫌とはっきり言わない電力会社。
永く原子力で食ってきて反省方向転換の機会を逸してしまった臆病な学者技術者。
そのへんかな~
メディアでは、
中日新聞は直後から明確に原発反対を謳い続けました、最近は関連記事も少なくなってきました、
やむを得ないことです、大方の人々は既に忘れかけてきましたからね。
他は何にでも噛みつくASA社を除き御用新聞ですから言うほどのことはない。
明日、新聞を見て涙を流せる人は如何程いることでしょう。
小掠三ハさん、ミハチではなくサンパチというそうです。
サンパチと聞けば・・・あれですね。
ラムエアーシステムなんて知らないですよね、ちびっ子さんたちは。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BA%E3%82%AD%E3%83%BBGT380

在職中の暇つぶし文載っけとくよ、季語ずれてるけど・・LINEってテキスト何文字入るの?

親父の茶

梅雨にしては雨が少なくて農家の人は困っておるのですが、
人ごとなのでしょうか、余り世間では騒ぎませんね。
友人が太陽光発電を始めたので見学しつつ参院選?を肴に飲んできました。
日照少なく太陽光発電には不利な山間地ですが、そんな山間の限界集落にも“訳有って”太陽光発電が増えてきました。
彼の父親は数年前から寝たきりになっています。
父親が元気なとき作っていた茶畑が家の前にあります。
4、5アール程度と広くはない、お茶作りを生業とするには狭すぎる茶畑です。
しかし、其処に投入されてきた彼の父親のエネルギーは計り知れないものがありました。
どれほどの情熱エネルギーであったかは毎年新茶を頂いていた私は知っています。
氏の手で育てられ、摘まれ、蒸され、揉まれた心のこもった上質のお茶でした。
火力に使う木炭も裏山で採った樫や栗の木を炭焼き窯で作った備長炭にも勝るような炭でした、全てが手づくり、自然との共生作品でありました。
急須の湯の中に開いてきた茶葉は葉脈が見えるほど損傷なく見事に元の形に戻ります。
芳醇な液体に抽出され浮き上がった茶葉に目をやると、驚くべきことを知るのです。
一葉一葉に氏が書いた銘が表われるのです・・ふふ。
ま~、それ程までに手間隙かけたお茶であったと言いたい訳です。
氏の作る手揉み茶は地域で高い評価を得ていました。
息子の彼にはその情熱が遺伝しなかったようです。
お茶作りはどうあがいても父親のように出来る自信は有りませんでした。
かといって、茶畑を無くしてしまう決断も出来ずにいました。
最近、そんな持て余していた茶畑に新風が吹いてきました。
30kw出力の太陽光発電所に変貌したのです。
業者おまかせで事は進行して既に稼働中。
登記の仕事を生業にする彼は農地転用では当局と少々揉めたそうです、
彼曰く、「太陽光発電とはお天道さまからの恵みであり電気は農作物だ、ここは畑なのだ」と主張するも、役人の頭は誤った概念に支配されたままで残念であったそうです。
資金の1300万円は借金です。
ところが10年もすると初期投資は回収され、後はお天道さまが有る限り収穫が続くそうです。
下衆の勘ぐりで金銭面から逆算していくと、1300万÷10年÷365≒3600円/日、
売価40円/kwhとして90kwh/日、フル出力30kwなら3時間/日で、平均出力なら3.75kw(出力率12.5%)てところ。
5アール(500㎡)として、30kw÷500=フル出力時60w/㎡、常用平均出力は7.5w/㎡。
専門家は地域の日照率統計や地形的要素、装置の効率、売電価格変動予想、契約相手の浪費癖など正確に計るのだが、”おおよそそんなもんだろう”の予感はする。
運転に係るランニング経費は?と良く有る心配事を聞くと「何も無い」そうです、はは、まったく無い。
業者は設置需要に対応するだけで精一杯、その先の悪業までは目が向かないようです。
住宅用の方も既にずっと前から運用中とのことで、私は浦島太郎状態を自覚する。
パネルは日本製が高性能で高価、外国製品は性能が少し劣るが廉価、彼のパネルは台湾製。
パワーコンディショナーと呼ばれる変換装置は日本製、10年での交換を推奨されたが、もちろん不要でそのつもりはない。
日照りの日にはパネルに水やりをすると洗浄冷却効果で発電量は上がるそうです。
夜は家のコンセントから安価な電気を引き、投光器で照らしてやると高価な売電に化けて戻っていくという電照菊栽培の擬似種。
電力会社との契約に基づき手間いらずに生産は続いています。
彼はときどき口座のチェックをするだけで良いそうです。
小遣いが減っているときは検針人に自家野菜を渡すだけで回復?します。
彼は儲けるのが目的ではなく、茶畑の扱いに困って業者の話に乗ったのが真相です。
回復する見込みが無い彼の父親が生きがいであった茶畑を見ることが出来るようにと、
寝室から見える二畝だけは茶株が残してありました。
将来父親の遺伝子が自分の中で発芽した場合に備え、発電パネルの下には元の土壌も残して有るそうです。
さて
情熱エネルギーと太陽光エネルギーの比較をしてみましょう。
経済で計ると太陽光エネルギーの価値が高そうに錯覚します。
過去から「グリーン電力制度」なるものもありましたね。
「私は高価でも自然エネルギーの電気を買う契約をするわ」
そんな人も居ました、国も電力会社も後ろを向いていた頃から。
しかし、
日本で自然エネルギーの株が上昇したのは最近です。
消費者が買う単価より電力生産者が売る単価を高く設定するエネルギー誘導施策。
ドイツのように早くからやっていれば1Fの悲劇も無かったのかも知れません。
限界集落で“茶畑の脅迫”に怯えていた人は大勢いたのですよ。
でもやっと地産地消のおいしい太陽光エネルギーが採れるようになって素晴らしいことです。
さてさて、彼の父親の情熱エネルギーを計ってみましょう。
お茶・・だけでも無かったのですが晩年は殆どお茶にのめり込んでいたようです。
昼も夜も茶畑に同化していました。
成人男子の消費カロリー≒3000kcal/日の全量が茶畑に投入されたと仮定します。
次表に代入、
http://variousdiary.blogspot.jp/2013/02/kwkcalh.html
3000kcal/日≒3.5kwh
太陽光発電の90kwh/日との比較は情熱26人分です。
・・いやはや、
もしも情熱茶畑と太陽光発電所が同等価値とすれば、彼の父親は26人分もの仕事をしていた訳です。
えっ、おかしいって、そう?
価値はお金ではないと思いますね、おいしいお茶こそが価値というモンでしょう。
適温で抽出された山吹色に輝くほんのり甘いお茶を口に含むと、
体中から有害なものや邪念が消えていくような気分になります。
お茶に健康維持作用があると確信して近頃良く飲んでいます。
適度な甘みと渋みはとっても体の為になるような実感なのです。
日本人の私達にとってお茶は無くてはならないものなのですね。
農家では、
田んぼを持て余して果樹園にして、
果樹園の博打性に懲り、
幸い首は吊らず最後は茶畑に、
そんな変遷の結果、
周りを潤し続けて自身は細る。
でもまだお茶が一番ましだよと、“日本人”に賭けたいのが現実なのです。
我が家では、
日課の猫の遊び相手をした後に、
気まぐれで出てくる茶色い熱湯、
100℃を優に超えている危ない液体、
香りも味も完全霧散したお茶のようなものを、
傍であくびをしている猫の口にそそぎ入れてやりたいと思う毎日です。
少しお湿りがあったようです。
節々が痛む辛い季節ですかな?

ぢゃっ(茶“っ)