大飯原発再稼働に福島の人たちはどう思ったでしょう。
突然故郷を喪失させられた人々の政府への不信と怒りは如何程でしょう。
私たちも同じように思います。
福島原発の事故から私たちの学んだ多くのことが、一握りの政治家らによって易々と葬り去られてしまうのかと。
国民の多くには国の性急さばかりが印象づけられました、
これほどの重大事なのに手続きは粗略、ろくな説明も情報開示もない。
これは民主主義の軽視にほかなりません。
政府はこの夏に日本のエネルギー計画について大綱を出し、それをもとに国民的議論を行うと言ってきました。
しかし、それは本来再稼働を決める前に行うべきことです。
順番が間違っているのです、民主的ではないのです。
これはとても恐ろしいことです。
国民の健康と安全、日本への信頼、日本の未来にかかわる重大事がこの程度の手続きで決まってしまうのですから。
今、世論の多くは脱原発依存を支持しています。
世界を見渡せばドイツは昨年早々と脱原発を決めました、人も技術も優れた日本で重大事故が起きたことに驚いたのです。
日本は日本のやり方で決めればいいと思います。
技術論だけでなく、日本人のもつ自然感、倫理観また歴史があります。
ドイツには人間の尊厳を重んじる歴史的思想がありますが、日本にも人や自然を大切にする伝統的精神があります。
未来は長い目で考えねばなりません、自然エネルギーを活用し大量消費文化は見直すべき時です。
被曝国として核不拡散を進めてゆく人類的責務もあります。
国は原子力を諦め切れませんでした。
しかしそれでも私たちは原子力に頼らない持続可能な新たな社会を築くべきだと考えます。
次世代のためにも、今よりも未来のことを考えようではありませんか。
そのためには民主的手続きと国民的議論が欠かせないのです。
再びあってはならないことですから。
ですます調のT社説ですが共感してしまいました。
事故報告書を読んでみましょう、私自身の中にも事故を生んだ一因が潜んでいるかも知れませんから。