原爆の日です。
68年も前のことでそのときを知ってる人も少なくなってきました、
でもけっして忘れてはなりません。
10年後に生まれた私などは何も詳しく知らぬまま来てしまったことを後悔しています。
平和な日本が後戻りせぬことを信じたいものです。
話は核になります
世の中の様々な数値を実感として捉えるには経験が必要です。
私達はオートバイに乗りトルクや馬力を実感します。
20馬力のパワーを実感して、相当する15kwモーターの力を計ります。
未熟な機械いじりをして、感電したりショートをさせて電圧や電流を実感します。
体感したものを基準にして他のものへ展開しているのです。
果てしなく大きいと思っていた地球も、水平線を見るとその曲率からおおよそ大きさが知れるものです。
近頃、体感出来ない単位の数字が飛び交っております。
不幸にも体感した被爆者の多くはもうこの世からいなくなっています。
尊い命が教えてくれた教訓が後世の人々に役にたっているのでしょうか。
シーベルトについては何となく解ってきたという段階でしょうか、数ミリシーベルトが危ない境界線らしいと。
ベクレルはどうでしょう、兆、京など実感の伴わぬ大きな数字が飛び交っています。
私達がこの単位について実感出来るのは何時頃になるのでしょう、
68年前僅か数kgのウランやプルトニウムが及ぼした影響を知ると、
壊れた原子炉に有る膨大な核燃料は悲観的にならざるを得ません。
この先事実を正確に知り得てもまだ、綺麗な海や山は残ると思えるでしょうか。
一基に百数十トンの質量らしいのです。
燃料棒の数が何百本なんて、そんな意味のないものに興味は無い。
私達が興味を持っているのは、
似非安全神話であった5重の壁を破り暴れ出てきたものが、
人類にとってどれほど厄介な脅威をもっているかです。
地球上の大きな海や広い大地に希釈拡散されたとしても、
この先こんなことが繰り返されると、
神が定めた地球の寿命が近づいてくるように思います。
その危険性について正確に知っておくべきでしょう、
教えてくれる人たちがいるのですから、
忘れてしまうことはできないのです。